どうって、それが普通だと思うけどな。私の母親は私と妹を産んだ時以外ずっと働いてたから、むしろ専業主婦と言うものの方がよくわからない。だいたい日本では古来から女性も農作業や機織で働いてたのが普通で、専業主婦の方こそ日本人のサラリーマン化が急速に進んだ昭和期に一瞬だけ出現した過渡的な現象だったと見るべきだろう。私の母親は、当時の労働基準法での女子深夜労働禁止の適用除外となる職種だったから、週に一回は当直で会社に泊まる日があった。私が小学校に入学した頃は父親も単身赴任してたから結構大変だったよ。自分と妹と猫の分の食事を準備して片付けて、とか、小さい頃からよくやってた。風呂も自分で炊いてたよ。当時の実家は薪を燃やして沸かす五右衛門風呂だったけど。そういうのって良い経験だったと思うがなあ。母本人にとって大変だったことは認めよう。職場のストレスからメニエル氏病を発症して、片耳の聴力をほとんど失くしたりとか。そんな母も今は退職して、バードウォッチングに出かけたり blog を書いたりして優雅に暮らしてる。
地獄への道として敷き詰められがちなもの。いや、ヨーロッパの諺にこういうものがあるんだ。The road to hell is paved with good intentions. 日本語に訳すと『地獄への道は善意で敷き詰められている』かな。個人個人はみんな「良いこと」だと思ってやっていることが、実はその組み合わせでとんでもない悲惨な結果をもたらしたりする。そういうことって割と多い。でも、だから善意なんて捨てちまえ、ってのも早計だろう。なぜ善意が合さると地獄への道になってしまうのか。私は、『悪人は頭を使うけど、善意の人はあまり物を考えない』という点に問題があると見てる。悪人は悪事がバレないようにとかズル賢く頭を使って先のことまで考える。ところが善意の人は、「私のやることは善いことなんだから良い結果を生んで当然だ」と無邪気に信じ込んで、あまり先のことを考えずにコトを進めてしまう傾向が強い。ヨーロッパだとこういう諺があるぐらいだからそういう人って多いんだけど、日本でも負けず劣らず多い。でもね、悪いのは善意そのものじゃない。悪いのは『頭を使わないこと』の方なんだ。善意に知性がプラスされれば鬼に金棒だ。どうすれば善意で天国への道を作ることができるのか。それをみんなで考えてみないか。
私の好きな映画は三つ、Monty Python and the Holy Grail と、Monty Python's Life of Brian と、Monty Python's The Meaning of Life と、Monty Python's And Now for Something Completely Different... 四つだ! 数には弱いのだ。でもスペイン宗教裁判のスケッチはこの中に入ってないんだよな。TVシリーズの日本語吹き替え版 DVD BOX セットが来年2月に出る予定になっているので、合わせて買うことをお勧めしたい(五つだ!)。これらを薦める理由は、単純に腹を抱えて大笑いできるという点がまず一つ。それと、今や Monty Python は英語圏のユーモアを理解する上での基礎教養になっているという点も挙げられる。新聞や Blog 記事でも、真面目な内容にちょっとした捻りを加えたいときなど、Monty Python のパロディがよく使われる。見ておいて損はない作品だ。
アメリカのゲームデザイナー Chris Crawford が名作ゲーム "Balance of Power" をデザインしたときに残した名言がある。『戦争は、悪人によって引き起こされ善人によって防ぐことができるというものじゃない、愚かさによって引き起こされ賢さによって防ぐことができるもの』 Balance of Power をプレイすると自然にそのことが実感として理解できる仕組みになってた。あのゲームで米ソ間の核戦争を起こさずに平和を保つのは本当に難しい。もう20年前のゲームだけど、本当に良くできていたと思う。最近はそういうゲームをほとんど見なくなった。残念なことだ。敵を蹴散らすカタルシスを求めるものや出来合いの勧善懲悪ストーリーを追わせるものなど、その方がゲーム購買層にとってわかりやすいし、現実を忘れてゲームに逃避できるし、受けがいいのだろう。しかし、現実をよりよく理解するためのゲームというものの復権を私は切に願ってる。