• 文字数:1,076
  • 回答数:3

ながさか

1974年08月05日生まれ、今年37歳。 現在は山梨県を拠点に、建築コーディネーターとして活動中。 ときたまごllc.,に所属。 (ホームページ:http://osamunagasaka.com/


0
109
好きになってしまったから、建築界を良くしていきたいし、いい建築もつくりたいから。


子どもの頃はただ単純に、父のような一級建築士になりたかった。
だからそれを目標に向かって進んできたし、それを最短で達成する道を選び、実際に実現した。
実現したときに、建築士をとりまく仕事は、様々な人の生活を彩ることが出来るとても素敵な職業だということを知った。

しかし自分の出来ることの少なさに、もっと学ばねばもっと学ばねばと、躍起になっていろんな物を吸収して歩いた。あとになって気付くのだけど、実務をこなしながら、学んでいけばいいということに思い当たらず、本を読んだり大学院を目指そうと思ったり、多くの建築をみて歩こうという方向に走った。

的外れな情熱を建築に傾け、仕事以外の時間をほとんど注ぎながら、自分の思いと摺り合わせの出来ない業務をこなし、建築に対する想いと現実に立ち向かう業務との格差に、私の頭は飽和状態になってきていた。


そんな折り、転機となるバイクショップ設計依頼。設計は元より施工まで承るが、自分の未熟さで最後まで全うならなかった。しかしそのままショップに入り浸り、建築とは離れた2年を過ごした。そこでは在庫管理できるように倉庫を改装し、在庫管理データベースをつくり、ネット販売サイトを立ち上げたり。元々好きだった整備の手ほどきを受けたり、店内に巨大な本棚を造ったり。

ショップでの毎日も新たな意味をなさなくなってきた時、新潟中越地震が発生し、応急危険度判定士として、建築物への立ち入りの危険度を判定して歩いた。それが建築界に戻る切っ掛けとなった。


その後は、家族を得て子どもも授かり、この先を見定める方向が決まった。建築をつないでいく仕事を生業にしようと決めた。その仕事を進める会社の準備を進める最中、高校の非常勤講師を引き受け新たな道を探り、この夏ときたまご(http://tokitamago.com)という建築をつなぐ会社をはじめた。
0
128
小学校って部活あったっけ?スポ小なら球技は苦手なのに、野球を少ししました。
中学も球技は苦手なのにバレーボール部、県で3位のチームだったけど補欠でした。
高校は水泳部と美術部、やっと本領発揮できた高校の部活動。今も水泳と美術には近いところにいます。
0
350
生まれたのは、山梨県甲府市にある塩島助産院。
実家は若彦路の里として知られる笛吹市にあります。中央自動車道で東京方面から甲府盆地に入るとすぐの辺りで、ぶどうや桃のおいしい地域です。春には沢山の桃畑で花が咲き、一面にピンクじゅうたんが広がります。