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mikura3

現在は福岡県を拠点に、占星術研究家として活動中。 MikuraTVに所属。 (ホームページ:http://www.mikura-tv.com


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三十円で生活。インドの田舎だったらねぇ、チャパティとサモサをかじって耐え忍ぶという選択肢も考えられますが、日本じゃねぇ…ひたすら眠って、カロリー消費を減らしておなかがすかないようにするか…あるいは、街頭で占いやって稼ぎますね。街占っていうんですけど、意外とお客さん、来てくれるんですよ。私の占い鑑定は、只今完全紹介制をとっていまして、ご予約頂くと自宅に伺ったり、どこかのカフェなどで待ち合わせて鑑定差し上げるというパターンがほとんどなのですが、以前は街頭に立ったこともありましたよ。ポイントは3つあります。まず一つ目。あれって、結構体力使うんです。冬は寒いし、夏は暑い。ですから場所選びが極めて大事。次にいかにお客さんに立ち止まってもらうか。街占は占い師も目立つけど、同時に相談をしているお客さんの方もかなり目立つじゃないですか?知り合いに見られたら、「あいつ、町の変な占い師のところに行ってたぜ…」みたいな噂も広がりかねないので、勇気がいるんですよ。だから、お客に足をとめてもらうのにも、一苦労です。そして最後が、ヤーさんとの闘いです。二時間も立っていると、どこからともなく現れます。誰かがタレコんでいるのか、見廻りでもしているのか…そしてお決まりの「しょば代」での請求ですよ。「知りませんでした」といって、すぐに立ち去ればいいのですが、お客がついているときとかだったら、もう大変ですよ。体力の持続、セールスの技術、そしてヤクザの対応。街占も楽じゃありません。でも、ひとり、ふたりでも来てくれれば、その日のお飯は食いつなげます…(笑)って、なんか話が大幅にズレましたね。これじゃ、まるで街占のやり方講座じゃないですか。まぁ、そんなこともあったってオチですね。
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一度、考えたことがあったんですよ。入れ墨を彫ろうかなって。あれはちょうど、インドを旅していたときでした。外国人旅行者専用の宿の近くに、彫り師がいたんですよ。ANDYとかいう西洋人だったんですけど(笑)。当時、私はある意味人生を達観していて、周囲の仲間にも、「俺は腹のど真ん中に、『感無量』という文字を彫ってもらうんだ」なんて吹聴していました。実際、何かのタイミングで彫ろうと決意してましたし。でも、あるときふと思い出したのが、日本にいる友達のことでした。彼は生涯を自分の妻に捧げるという誓いの証として体に彼女の名前を彫りこんだ。ですが、見事に離婚してしまったんですね。入れ墨というのは、決して消すことができません。人の心は移ろいやすい。しかし、その墨は決して消えることがない。それほどの覚悟で、オマエは『感無量』を生き抜く自信があるのか?そう自分に問うたとき、私はどうしても「感無量」を彫り込むことができなかった。確かに、今は感無量さ。気楽な旅の途中で何の制約も悩みもない。けれど、俺にはこの後の人生がある。まだまだ、先の道のりは長い。その人生全てを感無量にする覚悟があるかと言われれば、自信がなかった。人間にはどんな運命が待ち受けているか分からない。それこそ、一寸先は闇。感無量を背負うには、まだまだ人生経験が絶対的に足りないように感じた瞬間でした。でも、まだあきらめたわけじゃない。今でも、「感無量」を背負うチャンスを狙っています。
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本当はもっともっといきたいんですよ。でも、福岡にはなかなか良質なアートをおいているところがない。ですが、そんな中でも頑張っているところはいくつかあります。その中でも特に面白いのが、今通いつめている福岡清川のギャラリー兼アトリエ「Contemporary Artworks - TangTug.oM」ですね。最近は落ち着いてきたんですけど、去年とかは週に8回くらい行ってましたよ(笑)8回というのは冗談じゃなくて、1日に二度の日があったというだけの話なんですけどね。それくらい、ハマっていますね。あまりにも通いつめて、熱くアートを語っているうちに、いつの間にかアートワークを作ってみないかということになり、あれよあれよのうちに、自分もアートをするようになっていました。アーティストなんて別次元の世界、なぜならそんな勉強もしていないし、才能もあるかどうかわかんない…なんて思っていたのですが、今思えば勘違いも甚だしかったです。アートなんて、学校行ってなくても、誰でもできるんだと。むしろ、本当のオリジナリティを追求したければ、学校で学ばずに自ら新しい道を切り開くくらいの勢いでなければ、駄目だということに気づかせてくれたのが、アートワークス主催者のTangTugでした。あそこで私がウケた影響は計り知れないものがあります。二年前にはアートのアの字も知らなかった私が、今やMACの動画ソフトを自由に操り、作詞作曲すらも現実化させているのだから、本当に奇跡みたいな話ですよ。要は好きなことを好きなだけ追求し、洗練させていく。それが自己表現のコツです。朱に交われば紅くなるではないですが、アートをホンキでしたければ、ホンモノのアーティストを探して、食いついていけば、いとも簡単にその世界に入り込むことができます。そういう意味で、私がTangTug.oMに通いつめたことは幸運でした。あなたも、もしもギャラリーに足を運んだならば、作品を見るだけでなく、アーティストとの交流も積極的に図った方がいいですよ。あと、最後にTangTug.oMは完全招待制となっていますから、どこかで招待状を手に入れてから行った方が良いです。招待状がないと追い返されます(苦笑)。
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小学生ですか、あまり思い出ないんですよね。どちらかというと家にこもり切りな感じでした。外に出て遊ぶこともたまにはありましたが、やはり家で本を読んだりする方が好きでした。学校でも、休み時間はずっと図書館で借りてきた本を読んでるみたいな…そのおかげかどうかは分かりませんが、ある程度読解力はあったので、勉強に苦労した思い出はあまりないです。むしろ、得意分野でしたね。今でいうところのオタクっぽいイメージです。そういえば、興味はあの頃から、世界や宇宙にむいてましたね。世界に関しては、地図が大好きでしたし、宇宙は惑星の図鑑とかを暗記したりしてました。また、祖父や叔父が占いをやっているのをみて、自分も勉強してみようと思い立ち、小学4年生の時にはすでに手相書をお小遣いで購入して、周囲の人々の手相などをみたりしながら、いろいろと研究をはじめていました。今思うと、子供がよくあんな本を読んでいたな…という気がします。生命線とか知能線をみるならまだしも、恋愛線とか運命線なんて人生経験がまだ浅いあの段階では、その線の意味するところすら、わからなかったはずなんですけど、、、それでも、手相は西洋占星術の知識と結びついていたりするので、太陽系の天体の知識があった私には、非常に興味のそそられるところでしたね。ただ、小学5年くらいのときに友達の手相をみていたときに、「おまえ頭がおかしいんとちゃう?」みたいなことをいわれて、それがトラウマになってそれ以来、人前で手相がみれるということをあまり言わなくなったという事件がありました。手相の本は相変わらず読んでましたけど。占いについては、そんなところでしょうか。話が前後しますが、先ほどは外で遊ぶことはあまり無かったと言いましたが、たまに家族でいく登山だけはすごく楽しかったです。山という非日常への旅が、とてもワクワクするというか、毎回毎回が大冒険でした。いろいろな県のいろいろな山につれていってもらったので、それが毎回新しい刺激で、楽しかったんでしょう。登山にははじまりがあり、キツい試練の道があり、奇麗な水場があり、たまに霧がかかったりして、頂上からの壮大な眺めを経て、最後下山して終わる、、、というようにひとつひとつの登山にストーリーがあるかのようで、それを体で感じることに生き甲斐を感じてましたね。まぁ、そんなこんなの小学校時代でした。え?恋愛?そんなの全くなかったですね。もちろん、好きな子はいましたよ。でも恥ずかしくて、話もできませんでした。ああ、そういえば六年生のときに…いや、これは別の機会にとっておきましょう。。。
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結構目立つところに、傷があるんですよ。頭の左上の部分なんですけど、これは中学生のときに交通事故でできた傷跡です。坂道を自転車全速力で下っていたときに、車が急に飛び出してきて、車からしたら自転車が急に飛び出してきた…という表現になると思いますが(笑)、ブレーキを踏んだにも関わらず、スピードのせいで急に停止できずに、頭から車に突っ込んでいって…もちろん、大出血。こめかみの動脈の側だったので打ち所によっては、死にも至るような大きな事故でした。救急車で病院に搬送されて、即座に手術。頭部だということで麻酔も無し。かなり、きつい手術でした。傷が治るまで、数ヶ月を要しました。その間、部活も学校もろくに行けずに、オチこぼれてしまいました。結構、人生変えられましたね〜。まぁ、それは別に仕方ないかな…って感じだったのですが、やはり一番イヤだったのは傷跡ですね。目立つんですよ。頭だし、手術直後なんかは患部周囲の髪の毛を剃っていたので、丸見えなんです。髪が伸びたあとも、髪の間から傷口がチラ見えしたりして、それがコンプレックスでたまりませんでしたね。しかも、それが10年近く続きましたよ。「この傷がある以上、女の子にはモテない…」みたいな。でもね、それを180度変えられた事件が起こったんです。それは、世界旅行してるとき。チェコかどこかのバーで、東欧の金髪美女に言われたんです。「そんなところに傷があるなんてクールなガイね!」。え?これってクールなの?今まで考えてもみなかった、捉え方にわたしは唖然としましたが、次第にそれが自信に繋がっていったのです。その数週間後には丸坊主にしてしまって、完全克服。丸坊主にして、傷口を全てさらけ出したときの感覚は、もう悟りの境地に近い感覚でした(笑)何しろ、今までずっとコンプレックスだった傷跡を、白日の下に晒しているわけですから!本当に気持ちよかったな。あれは確実に、私の人生のハイライトの一部ですね。
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今私が一番興味をもっているのは、コンテンポラリーダンスですね。もともと、踊るのは大好きですし、得意な方だと思うんですよ。子供のころから、リトミックなんて通っていましたし。リトミックというのはですね、正確な定義としては、「音を聞き、それを感じ、理解し、その上で楽器に触ってみる、音を組み合わせて音楽を作ることの楽しさを身体全体で味わわせ、その喜びの中で、音を出し、奏で、そこから旋律を作っていくことへの興味と音感を育んでいくもの…wikiより」らしいのですが、私のイメージではただただ音楽にあわせて走りまくるって感じでしたね(笑)実際、それしかしてませんでしたし。ですが、そんな早期教育が実を結んだのか、元々踊るのが好きだったのか。高校生の時には、応援団で人前でダンスすることの喜びを体に叩き込まれ、そして大人になってお酒も飲めるようになってからは、クラブで酔っ払って踊りまくる快感にも目覚めてしまった。もう、根っからのダンス好きです。カラオケでも踊ります。音楽がかかれば、体がオートマティカリーにリズムを刻んでしまいますもん。クラブを卒業してからは、世界を放浪しているときに覚えた「ポイ」にはまりました。ポイとはもともと、ニュージーランドの原住民マオリ族が舞踏儀式に使っていたもの。それを世界の旅人、主にバックパッカーだと考えられていますが、放浪のジャグラーたちが、ポイに火をつけて踊ることを広めた。それが、今のポイパフォーマンスの原型となっています。事実、ポイといえばファイヤーポイといわれるほど、火をつけて回すのが有名です。このポイにはまってしまって、これは今でも続けているのですが、両手を使うので左右の脳のバランスをとるにも良いですよ。ただ、これにも限界があります。やはり、ポイをするとポイに縛られてしまう。だから、ポイを取り込んでなおポイに縛られないダンスの表現を目指して、今は模索中といったところですね。コンテンポラリーダンスの際に流す曲とかも、普通の曲では面白くないので、アート仲間たちが制作した、「コンテンポラリーミュージック」をもとに構成を考えています。一部のダンスは、友人のバンドマンたちのイベントでパフォーマンスしました(大阪、福岡で)。これからも、積極的に開拓していきたいジャンルですね。コンテンポラリーアートに関しては、私のサイトにて紹介していますので、ご興味あれば是非見てください。
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昔から憧れていたんですよ。世界旅行ってヤツに。そして、「旅」という言葉の響きに。その夢を夢として、引きずりたくなかった。武田鉄也か誰かが、テレビで言ってたんです。儚と云う字を知っているかい?あれは人が夢のとなりで、佇んでいる様子を表しているんだ。夢見てるだけの人、実際に行動せずにいつまでも夢を夢のままにしておく人。それが、儚いということの意味なんだよ。。。世界にはまだまだ自分が知らない、文化、人々、経験、生活、言葉、食べ物、いろいろなものがあふれているんだろうな…そんな幻想をずっと抱いていました。高校生の頃は特に世界地理が大好きでして、世界地図を開いてはまだ見ぬ土地のことを空想していました。フィヨルドとリアス式海岸ってどれくらい違うんだろう、キリマンジャロの雪とアルプスの雪質の違いは?アンコールワット遺跡とピラミッドの匂いはどんなだろう?なんて、夢をみてたわけです。バックパッカー(貧乏旅行者の総称)の聖書とも呼べる「深夜特急」を読んだり、地球の歩き方をパラパラめくってみたりすればするほどに、旅への欲求は大きくなっていきました。ただ、いきなり世界旅行というのはハードルが高すぎるということで、まずは日本国内を旅行することに決めました。福岡の博多駅から初めて、北海道の稚内まで、4日間で縦断しました。青春18切符っていう、JRの鈍行だけなら乗り放題ってサービスを使って。とにかくお金がなかったから、宿泊はカプセルホテルやユースホステルがメインでした。そこで、旅の醍醐味(現地の文化にふれたり、旅人と交流したり…)を味わうことになり…旅の終わり、最後の日なんて、YHの兄ちゃんにギターで、まさしく「旅のおわり」という曲をうたってもらい、ひとりで泣きじゃくっていましたからね。いい歌詞なんですよ、これがまた。北海道のYHで70年代に広まった歌らしいんですけど、歌詞とメロディーが本当に心震わせてくれます。本当はここに歌詞をアップしたいくらいなのですが、インタビュー紙面を消費してしまうので(笑)、興味のある方はご自分で調べてください。曲名は『旅の終わり』、作詞作曲は『舟橋俊久』。これが私の旅バージンブレイクでした。これをきっかけに世界へと乗り出しました。宗谷岬で遠く霞むサハリンの地を目にしたときに、思ったんです。ここは日本の果てだというが、世界の果てではないわけで。この先にも道は続くし、地球は丸いんだ。後は、行動するだけだ。夢を現実にするだけだって。バイトで資金をためて、学校を休学し、世界旅行へ乗り出したのは、それから約一年後のことでした。
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危険なことといったら、交通事故などで二、三度ほど死地を切り抜けてきた他にも世界旅行の旅先でいろいろありましたが、中でも一番スリリングなヤツのお話をしましょう。それはハンガリーの首都ブタペストに滞在していたときのことでした。宿泊先の日本人仲間二人に誘われて夜の街にくりだしたときのことです。人気のすくないバーのようなところで、急にギャング団が現れました。といっても、まだまだケツの青いチンピラ連中。十代だったんじゃないかな。ガタイだけは異様に大きかったのを覚えています。どうやら、ネオナチ系の思想の持ち主らしくて、我々のような東洋人と同じ空気を吸うのを快しとしない感じでした。最初は、遠目に様子を窺うような感じで見てきたのですが、急に近づいてきて話しかけてきました。「今からゲームをしないか?」何のゲームだというと、首絞めゲームだという。十秒間締めて意識を失わなければ勝ちだというとんでもないゲーム。すばやく周囲を見渡すと一緒に来ていた二人は素早く逃げ出し、その逃げ道すらも他にもいたチンピラたちが入り口を体で塞ぎにかかっています。これは、ピンチ。ピンチもピンチ。危機一髪。おそらく、ヤツらはナイフのひとつやふたつ、下手したら銃も持っているかもしれない。そう思うと生きた心地もしません。逃げた二人が警察に行ってくれることを望むだけですが、東欧の警察は偽警察なんてのもおり、なかなか信用できません。ましてや、今は通りには人っ子ひとりいない、深夜帯です。今更ながらでしたが、私はここに来たことを後悔していました。チンピラはさっと私の後ろに回りこんで首を絞めはじめました…one,two,,,three,four,,,,,fi・・,,seven,,,,,
へたくそな発音のカウントをtenまで聞くことなく、私は意識を失いました。気付いた時、私はツレの二人に介抱されていました。あの後、私が逃げ遅れたのが気になって再び来たらギャングたちは、「Just game,you know?」と言って去っていったとのことでした。今思うと、どんなゲームやねんという感じですが、一歩間違えたら死んでました。皆さん、海外での夜中の一人歩きは気をつけましょうね。
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私は自分のことを「大道芸手相占星術家」と名乗っており、ちょっと異色なエンターテイナーをうたっているのですが、さすがに格闘家になるつもりはありませんね。昔は、憧れたこともありましたけど。小学、中学生時代はどちらかというと引っ込み思案で、体も強い方ではありませんでした。だから、いわゆる『いじめ』にあったことも多々ありました。そんな自分を変えたいということで、ある時期から筋トレに目覚めて、空手の本とかを買って、自分で蹴りやパンチのフットワークを練習してたりした時期もありましたね。おかげで、いじめはなくなりました。腕力には腕力で対抗できるようになりましたから、イカツイクラスメイトを怖いと思うこともなくなりました。腕力に腕力なんていうと、いかにも筋肉馬鹿のようにも思えてしまいますが、誰しもこういった時期は必要なのではないかと思います。社会に出てからは、腕力などK-1選手になるような方々は別として、何の役にも立たない代物です。ですが青春時代の一時期、どうしても必要になってくるときがある。人が生物である以上、こども同士の喧嘩なんてのはなくなりません。むしろ、思いっきり殴るなり、殴られたりして、「痛み」を体で覚えた方がいい。殴ると拳が痛いし、殴られると血もでます。そんな中で、どうすればどれくらいの打撃を与えることができるのか…などを学んでいくのだと思います。それを学ばないで、何かの拍子にキレたりする輩が、やりすぎて殺人とかに至るのではないでしょうか。殺すつもりはなかったけど、鉄パイプで殴ったら死んだ…みたいな。そう考えると、格闘に目覚めるのも、ひとつの通過儀礼なんじゃないかと思いますよ。特に男の子はね。女の子も、最近DVとかありますし、ちょっとくらいは知識やら経験があってもよいとおもいます。随分、話がそれてしまいましたが、格闘家にはなるつもりはありませんよ。でも、剣道とかはいつかやってみたいですね。思い切り、叫びながら面とか胴とか打ってみたいです。
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質問の答えとしてはYES。神様、私の考えではそれは宇宙そのものです。今私達が生きているこの世界全て。過去、未来、現実も仮想も含めた、「全て」を神と呼ぶのではないかと、私は考えています。言葉というのもは不思議なものですよね。「神」というたったふたつの音でつくられた単語に、人はいろいろな意味をくっつけてもてあそびます。神についてのイメージは、それこそ地上に存在する人々の数だけあるのではないでしょうか。私のような考えをしている人もたくさんいるでしょうし、他にも、天使のような人に似せた姿を思い浮かべる人、自然の何か、例えば火や風や水などを神と思う人もいる、海や大地や天空を神だと拝む人もいる、何かの偶像を神だという人もいる、あるいはかつての日本やエジプトのように、現人神としての人物を神とみる見方もあります。私は神話学者のジョセフキャンベルの著作が好きでして、座右の書としているのですが、彼が研究した神話比較学なるものを勉強するとそれが良く理解できます。世界の神話を比較していると、驚くほど共通のイメージやストーリー、モチーフが登場してくるというのです。距離的に、時間的にも遠く離れた世界中の様々な文明の神話に共通しているパートを総合的に見てみると、ひとつの全体像がみえてくると。だから宗教は違えどもそれは文化としての捉え方が違うだけで、結局は全く同じ「神」を信じているのだという考え方です。全ての宗教やら民族は、それぞれの文化の応じた色眼鏡をもっており、それらの色眼鏡越しにみている「神」の姿は、実は全部同じものだという。たとえば、ここにリンゴがあるとします。それを赤色眼鏡でみれば、赤くみえる。青色眼鏡でみれば、青くみえる。緑色眼鏡でみれば、緑にみえると。こういった具合です。だから、キリスト教もイスラム教も、ユダヤ教も、仏教も神道もヒンズー教もシク教も、ジャイナ教もブードゥー教も全て同じもの。つまり、『全次元を包含した宇宙そのもの』だと、そう思うに至りました。
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