• 文字数:4,569
  • 回答数:7

lamb

自己紹介ネタは切れ気味 (ホームページ:http://lambkt.timelog.jp/


0
だttだっておま…芝刈りにきまってるじゃないか!!!くっそー…世間の認識なんてその程度のものなんだな。出直してきます。
0
『桃太郎』の事でしたらまだお話できないんです。『桃を割る』というのは『ケツを割る』とはまったく違った意味である、という事だけ力説しておきます。この作品に流れるテーマとは無関係にいつも思うのが『何故おじいさんとおばあさんでなければならなかったか』という事です。村というコミュニティーからケツを割りたいと思う息子の野心を黙ってあたたかく応援し、快く送り出し、それが許されるというのは、村での役目を果たした立派な人物でなくてはできない事だと思うのです。年若くして結婚しすぐに子供を次々と授かった夫婦なら、長男は早く一人前になって親を助けて働かなければならない、長女は幼い弟や妹の面倒を見て家事育児を一手に引き受けなければならない、その下の兄弟も同じ事です。夫婦も村に労働力を提供しなければならないかもしれません。しかしおじいさんとおばあさんなら、そうではない。他に沢山の兄弟がいるならまず食べさせるのが大変、次に住まわせるのが大変だから早く育ってどっか行け、という事もあるかもしれません。でもたった一人の息子を家も継がせず村の若い衆にも参入させずに本人の好きなようにさせてやるというのは並大抵の事ではないのではないかと。村での務めを果たしてきたおじいさんの実績と度量に心から敬服します。その人徳が桃太郎というひとつのレジェンドになったのではないかと思われてなりません。また『子を授からない』という問題は水天宮という公式のスワッピング広場での妊娠や嫁を里に帰すという選択などで解消されてきた事を考えると、おじいさんとおばあさんになるまで子供を授からないまま夫婦関係を続けてきたという事は『如何におじいさんがおばあさんを愛していたか』を如実に表しているとも思います。このおじいさんは本当に大人物です。
0
MとPの原則です。Mが母性原理、Pが父性原理を表しているという考察です。PはPH・Fにもなります。PHとFは近いのです。MはマンナのMであり、お母さんであり、ごはんです。母性原理が結び付き・父性原理が個を表し、母性原理が密着・父性原理が距離を表している事は長椅子の上の自由連想からではなく読んだ本でききかじって知りました。ただ私はある時ふっと思い付いたのです。『そうか、「お父さん」は「お遠さん」なんだ。』「FATHER」も、お腹の中からしたら遥か彼方遠くのFAR AWAYにいるからファーザーなんだきっと。自分を包む世界そのものである自分を育む栄養源であるマムからしたら遠くにいる人なんだな、と。童謡「結んで開いて」はMとPの原理をよく表しています。手を結んでいる時は指と指とてのひらはくっついています。手を開くと指と指は離れます。手と手が離れているから手と手を打つ事ができます。離れているからくっつく事ができます。手と手がくっついてしまわないからまた手を打つ事ができます。手と手をくっつける事ができるから、そこにあたたかいものが生まれます。物質が結び付く事も、そこに物質独自の質量があり個としての存在たらしめている事も、どちらもとても大切な原理です。――そういや「人生においての」ではないですね。世界の原則と感じています。 人生の原理原則なんてあるんでしょうか。
0
たくさんたくさんためます。こぼしてしまったら勿体無いとばかりにためます。あまり出しません。もし吐き出すとしたら好きな友人や気の置けない人にお話します。
0
それ言うと所帯持ちの友人達が皆さん御自身の夫婦関係について深く考え込んでしまわれるんですよ。それだけ普遍的な事というか、どんな夫婦も一度は心の片隅で感じる事なのではないかと思います。なのでここ5年ほどはこの件については配偶者のいらっしゃる方の前でお話する事はありません。
0
される方です。何にされるって環境に、です。失うものなんて何もないと思ってやってきたわけです、ずっと。そんな自分がまさか守りに入るとは思ってなかった。ダーリンと自分との関係の中で束縛するのされるのって本当ほのぼのとした素敵なお話ですよね。まぁ本当にそう思ってるわけじゃないですけど。色々あるよねと思いますけど。私には最早ないですけどね。ていうかたとえダーリンや恋人の類いの人がいたとしてもそんな事は言えない身分である事が問題という事です。いないけど。恋人がいてはいけない既婚者という事ではないんです。守りに入っているとは言っても、私が守りたい大切なものによって自分が束縛されている、とは思っていません。でもそれを守りたいが為にあちこちに縛りが生じてしまうことは否めません。いちいち縛りを感じてしまう自分だとも感じています。何か制約があるという事をかなり敏感に感じてしまう方だと思います。自縄自縛はあまりいい事ではないので気付いたらすぐ解除するように心掛けていますが、そういった自分の問題だけではなく、周りを見て色々な事を考え合わせるとそう無邪気な振る舞いばかりしてる訳にはいかない事も多いですよね。或る程度歳を重ねるとしがらみも増えるというものですし、あまり年齢不相応なこともできませんし、昔は気付かなかった事に気付いたり知らなくて良かったと思うような事にぶつかることも多くなります。あまり気が合わない人とお付き合いしなければならない事も多くなります。まぁそういう事を全部いちいち気にしてる訳でもないですけどね。面倒な制約は本当に苦手だと思ってしまうタチだからいちいち引っ掛かるという事だと思います。もっと野放図にいきたいものですね。その割には自分ルールをよく設定する方です。
0
自分に必要な事を考えてみたんだけど今は与えられて嬉しい事はあんまり思い付かないな……亡くなった人ともう一度一緒に暮らせるとかそういうのならお願いしたい気もしますがそれは色々と問題あると思います。それに皆に人ひとりあたり3つのお願いを聴いてたら神様は忙しくて仕方ないと思います。昔は色んな事をお願いしたいと思ったものだけどな。今は自力で何とかしたい事と自力でどうにもならない事に目が向きます。何かお話を振って頂いて考えてたら欲しいと望むは違うなーとかそういう事も良く解りました。私は「求めよ、さらば与えられん」というのは好きなのですけど、心から求めてもいないのに与えちゃうのってあまりよくないですね。それを本当に求めてるのかどうかという事も大事な事ですね。求めるじゃなく望む方の願いをかけるなら色々と思い付いたけど、それは内緒にしたくなりました。皆が一日一度くらいどこかで安らげたらどうしたとかそういう感じの願いです。