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理念・言葉 19人が答えてます

信じるとはどういう事でしょうか

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・・・難しい質問ですね。自らの全てをさらけ出し、相手に委ねること。そして同時に、相手の全てを認め、理解し、受け容れること。ぼくは、そんな風に思っています。信じる、という行為には、理屈が存在しないのです。その行為は、無償の愛に似ています。対象の行為、全てを肯定する、ということですから。でもきっと、言葉にしてしまったら消えてしまう類のものなんだろうな、と思います。それは、ただ思うことによってのみ、生まれ出ずるものなのではないかな、と。「信じてる」と言葉にした瞬間、それは想いから願望へと姿を変えてしまう。だからこそ、「信じる」という行為は、崇高で気高いのだと思うのです。その儚さが、見るものの心を打つのではないでしょうか。
**k
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妄想と呪文に取り込まれつつ、覚醒していると思い込むこと。期待。希望。これが解っていないと厄介なことになる。信じる、ということは大切なことだけれど、これを随時確認して安心しているのは別の話しでしょ?もう信じていない自分がソコにいるもの。不安と確認と安心が繰り返されすぎるのは、疾患や依存に近いと思う。
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警察『息子さんにお話を伺いたいのですが・・・』母『まさか・・・うちの子がそんなことするわけないわ!』警察『お母さん・・・そう思いたい気持ちも分かります。ですが・・・』母『帰ってちょうだい!うちの子はそんなこと絶対にしません!』警察『ちょっ・・・お母さn』バタン!     ・・・みたいな感じの事をいいます
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シラネエよ。答えの出ないような問答に、自分の価値観を見出すなってことだ。『誰も信じられない』とか、なんだお前は哲学者か?色んな意味・捉え方があるんだから、そんな言葉に大切な自分の気持ちを揺さぶられてんじゃねえよ。まずはテメエから信じてやれってんだ。
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「救われる」って事ぢゃねぇスか?でも「拝めば病気が治る」なんて普段言ってる人が、そのつながりで「選挙頼む」ってしつこく言ってくるのには閉口しちゃうな・・あえて言うなら拝んで全てその通りになるんなら「選挙頼む」なんて電話してねぇで、その時間を惜しんでしっかりと拝んでろよ、みたいな・・
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無根拠に信じるのは、信じるのではなく妄信だと思います。 状況に対する分析をせずに、「こういうものであってほしい」という願望を思い込むことは、きわめて危険な行為です。
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形の残らないものや実際に手にすることができないものを『ある』と思うこと。数学なんてそんなところからスタートしてると思うけど。線と点だって『ある』と仮定してはじまっているのだし、1次元2次元の考え方も同じようなもんじゃないかな。宗教における神は存在するか、ってこともそうじゃないかな。哲学もおんなじような感じ。個人によって捉えかたが異なるから絶対と言い切ることはできないけれど、少なくともわたくしはそのように思いますよ。あとはなんだろうなあ、本人の心の中で疑いなく思えることなのかな。理由はなくともそう思う、思えることが全てだと思います。
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勇気を持つということだと思います。自分を信じるのも、他人を信じるのも、神様の采配を信じるのも、とにかく勇気が必要です。最後まで信じていられることって意外に無いですよ。「自分の事は信じてます」という人も大勢いますけど、そういう人も本当は自分のことを信じ切れてないと感じます。成功して一段と高いところにいける可能性があるとわかっていても、安定した会社を辞めて事業を起こす人は少ないでしょ?つまり、やってみたいけど成功するわけないよー。って思ってるわけです。自分を信じられないわけですよ。とどのつまり信じる勇気がもてない。そういうことではないですかね?
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信じるってことは なんの根拠も 何の理由もない 証拠もないことだから 信じるってことは つまりそれは それでも信じたいということだ - プリズム/ランクヘッド これしか思い浮かびませんでした。すみません。 自分の言葉で言うと、信じるってことは、八割が信じられるってことだと思います。可能じゃなくて受動です。信じてくれるから信じられる。だから信じてくれない人は信じられない。残りの二割で直感的に人を信じるんだと思います。その二割のおかげで信頼は成り立っているのだと思います。
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『信じる』という事は、信じる・信じないの次元ではない状態だと思います。言語化は難しいですね。
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許す事だと思います。
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人は『信じる』という行為によって心の隙間を埋めているんじゃないかな?それによって救われている人もいるだろうし。
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この人はこーいうカンジだよな〜こーするだろうな〜あ〜でも別にそうじゃなくてもいいや〜〜ってカンジの状態だと思います。あるがままの姿を、許容できる状態な気がする。よくわからん。
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自分にとってのこたえはたったひとつ。 結果の可否にかかわらず、待てるかどうか、ってことかな。
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そうですねぇ〜、、、自分を「無」にするということでしょうか。
AZ
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一言で表現するならば、それは疑わないことだね。または、心の奥底に疑念を押し込んでしまうことだろう。どんな人間でも必ず“疑う”んだ。貧乏人には貧乏人なりの理由があるし、金持ちには金持ちの理由があって、悲しいことに僕たちは疑うという行為をやめることはできない。それが自然といえば自然だし、ずっと繰り返されてきたことなんだろうね(苦笑)。だから、信じるっていう行為は、随分と無理をしていると思う。結局は自分が信じたいものしか信じないしね。疑うことにくらべると不自然というか、極めて都合のいい考え方なんだ。ただ、誤解してほしくないのは、僕はそれを否定しているわけじゃない。皮肉に聞こえるかもしれないけれど、人間にしか備わっていない美徳の一つだと“信じている”からね(苦笑)
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私は基本的に誰のことも信じてしまう人なの。お人よしって訳。だから誰にでも頼るし、甘えるわ。あえて言うなら、今私が信じているのは、家族≧恋人≧男友だち>女友だち。
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日本を代表する騎手である武豊がデビューして2年目、武豊はスーパークリークと出会った。武豊は「スーパークリークならG1を勝てる」と秘かに心に思い、ダービーを目指すも残念ながらスーパークリークが骨折。目標を秋の菊花賞に切り替えるが、その大事な前哨戦で負けてしまい、賞金が足らず菊花賞ではフルゲート18頭のところ、20番目の出走順になってしまう。事実上、スーパークリークの菊花賞出走が不可能になったため、武豊のもとには、他に4頭の馬から騎乗依頼が来た。しかし武豊は「菊花賞ではスーパークリーク以外の馬には乗らない」と語り、そのすべてを断った。菊花賞の直前になって2頭が出走を回避し、スーパークリークと武豊は菊花賞に繰り上がりで出走できることになった。結局菊花賞ではスーパークリークは2着馬に5馬身差をつけて優勝した。優勝インタビューで勝因を聞かれた武豊は、「勝因は出走できたことです。」と語ったという。
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自分に決意することですかね。例えば誰か、友達でも恋人でも誰でもいいんですけど、そういった誰かを信じるときって、相手に期待してる訳じゃないんです。どうして欲しいこうして欲しいっていうのは信じるんじゃなくてただの自分の願望ですから。そうじゃなくて、相手を受け入れる、理解する、支える、支えてもらう、どんな形であれ自分が自分に決意するんです。良くも悪くも自己消化ですよね。だから「裏切り」っていう概念も無いと思ってて。もしかしたらその相手は自分の目指す場所とは違う方向に行くかも知れない。でもそれは裏切られたんじゃないんです。「信じてたのに裏切られた」っていう台詞があるじゃないですか。あれちょっと違うなって思ってて。1回信じたからには裏切られることって無いと思うんです。自分の中で信じてるから。相手がどうとかじゃないんです、自分がね。だから信じるってすごく簡単なことだけど、一回結んじゃったら解けない紐みたいな、そういうイメージです。