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理念・言葉
21人が答えてます
信じるとはどういう事でしょうか
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加藤栄仁
0
信じるっか…。 どこか懐かしい響きでもあるし、いまでも常に身につけている言葉のような気もするね。おそらくこの言葉が持つ「力」って結構なものがあると思うよ。 僕はね、信じることよりも信じられることばかりを気にする人間なのかもしれない。人を信じるということは、自分から遠く離れた対象に思いを寄せるわけだから、そしてそこに自分の確固たる決断を持ってくるわけだからね大変なことだと思うんだ。だから、僕は人を信じることよりも、信じられることに重きを置いているのかもしれないね。それって結構弱い人間なのかなって思いもある。 対人だけじゃなくていろんな事があるよね。 何かの結果を期待して信じるとか、物事の展開を期待して信じるとか。 思いは通じることが多々あるから、本当に信じるようにはしているけどね。 あれ?おもいは通じるってこと知らないかな? 精神的な世界の話が、物理的な事柄を左右することは当然のようにあるんだよ。 「言霊」ってしっている?あれもそうなんだけど、人の心の中にある思いって、 自分の外に出ていろんなものに影響を及ぼしているんだよ。 別に、不思議な話じゃないんだ。ありふれた出来事なんだよ、そんなことは。 この辺でまとめないといけないね。 質問は、信じるとはどういうことなのかってことだけど。 そうだね、信じるとは 「つながっていることが前提の、都合のいい解釈のための安心行為」 かもしれないねちょっと冷たい人間見たくなるけど、なんとなくそんな気がする。でも、それでいいんじゃないかな。人って結局自身の中での考えが大体を支配するわけでしょ、その後に、外から入ってくる情報でいろいろと思いをめぐらせるわけだ。だから、信じるという事を自身の利益につながる結果を願う行為なわけだと思うよ。 僕は、願うし、信じるし、祈る。 自分以外の人を思うし、考える。 だから人にも、そうしてもらいたいしそんな対象に自分がなっていればいいなと思っているよ。 人間は精神の世界でつながると思ってもいるんだ。 あれ?ちょっと引いちゃった?(笑) ただね、夢で出会えることってありえると思うんだな。 いやいや、だからつながっていることが前提だよ。 常に思って、常に考えていればその変化にも気付く。 人間の脳はいろんな事を瞬時に察知して知らせてくれる。 でも、いつもその機能を明るくしておかないとダメなんだ。 それが、「思ったり、考えたり」することだと思う。 話がそれちゃったけど、そういう意味からすると「信じる」ってことは 自分の外に思いをめぐらせるということなのかもしれないね。 答えになっているかな。
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地引京介
0
これは、以前に書いたBLOGの内容を引用する ********** 世間での評価ということでは、信用するはつかわぜるをえないけど、そうでない場合は「信頼する」を使う 主観で書くけど、信用とは、片方向の信じ方(独りよがりの行為) 相手をある程度の評価または過大評価をしてみたものに実際には相手にはそれが出来ないことに落胆すること…という定義づけをしてたけど、実際に衝撃を受けたのは、漫画:ライアーゲームの4巻だったとおもうけど 敗者復活戦(一回目)が終わり次の三回戦の前に不安になった神崎直が秋山深一を呼び出した場面 急に直の必勝法「みんなが正直者であれば全員が救われる ライアーゲームはそういうゲーム」が本当に出来るのかと不安になったとき、秋山が「何でも信じるナオさんが人を疑うのかい?」といわれ、「あ、いけませんねそんなこと」と返したのだが、秋山は 「人は疑うべきだよと」 と。どういうことか 多くの人は、誤解しているけど人を疑うことはつまり、その人間を知ろうとする行為なんだ 「信じる」 その行為は紛れもなく高尚な行為だ…しかしね多くの人が「信じる」の名の下にやっている行為は実は<他人の知ること放棄> それは決して「信じる」という行為ではなく「無関心」> 無関心こそ疑うより、遥かに忌々しい行為であることに多くの人間は気づいていない 俺(秋山は母親が自殺に追い込まれた巨大マルチを詐欺で潰し、刑務所にいたことがある)はかつてとある巨大マルチを潰したときにその内部の多くのひどい人間をみてきたよ だが、マルチで最もタチが悪かったのは 良い事をしていると思い込んで 結果人を騙している人間の多いこと そいつらは人を騙している自覚を全くない なぜなら そいつらは自分のせいで相手がどれだけ苦しむかを想像する事から逃げている 完璧な思考停止 究極の無関心状態だ 疑うことは決して「悪」じゃない 本当の「悪」は 他人に無関心になることだ これは衝撃だったね。言われてみればそうだ 疑うとき、それはその人のことを観察しているでしょう? ただ、疑うことは同時に「自分にとってメリットがないかどうか」 ということを同時にしていること それは、自分が不幸にならないための防衛として本能的にやっていることだ しかし、安易に人を「信用する」ということは、勝手にその人のことを分かったようになり、自分に都合のよいように解釈をする、一種の独りよがりであること それで「信用したのに、裏切られた」はないだろう。 ただ、人間付き合いで信じる行為は絶対に出る、出ざるを得ない そのときに使うのが、さっきも書いたけど「信頼する」 今、わしが「信用する」という言葉を使うときはこのライアーゲームの言葉を使うなら「あなた(または物、行為に対して私は無関心です。面倒なのでやめてもらえないか?」なんです。 これは俺自身の解釈なので、他人が使っても「まあ、その程度にしか思えないのね」と思っちゃうのね。だからそれなりの距離にならざるを得ない それもこの「信用する」という言葉、乱発して使っているから他人には「善意」だと思ってられるので非常に都合が良い 「信頼」して良いのか「信用」して良いか分からなくまだまだ「疑う」余地のある人に対してはとりあえず「信じる」と濁してます。 ********** 基本的に「信用する」って言葉が嫌いの一つ 善・信用って「良いこと」と世間はそうなっているが、個人ではそう思わない。
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自らの全てをさらけ出し、相手に委ねること。そして同時に、相手の全てを認め、理解し、受け容れること。
いけだ
0
・・・難しい質問ですね。自らの全てをさらけ出し、相手に委ねること。そして同時に、相手の全てを認め、理解し、受け容れること。ぼくは、そんな風に思っています。信じる、という行為には、理屈が存在しないのです。その行為は、無償の愛に似ています。対象の行為、全てを肯定する、ということですから。でもきっと、言葉にしてしまったら消えてしまう類のものなんだろうな、と思います。それは、ただ思うことによってのみ、生まれ出ずるものなのではないかな、と。「信じてる」と言葉にした瞬間、それは想いから願望へと姿を変えてしまう。だからこそ、「信じる」という行為は、崇高で気高いのだと思うのです。その儚さが、見るものの心を打つのではないでしょうか。
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短く書こうか。
**k
0
妄想と呪文に取り込まれつつ、覚醒していると思い込むこと。期待。希望。これが解っていないと厄介なことになる。信じる、ということは大切なことだけれど、これを随時確認して安心しているのは別の話しでしょ?もう信じていない自分がソコにいるもの。不安と確認と安心が繰り返されすぎるのは、疾患や依存に近いと思う。
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ポテツ
0
警察『息子さんにお話を伺いたいのですが・・・』母『まさか・・・うちの子がそんなことするわけないわ!』警察『お母さん・・・そう思いたい気持ちも分かります。ですが・・・』母『帰ってちょうだい!うちの子はそんなこと絶対にしません!』警察『ちょっ・・・お母さn』バタン! ・・・みたいな感じの事をいいます
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cafedge
0
シラネエよ。答えの出ないような問答に、自分の価値観を見出すなってことだ。『誰も信じられない』とか、なんだお前は哲学者か?色んな意味・捉え方があるんだから、そんな言葉に大切な自分の気持ちを揺さぶられてんじゃねえよ。まずはテメエから信じてやれってんだ。
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救われるんだよ
峪えいじ
0
「救われる」って事ぢゃねぇスか?でも「拝めば病気が治る」なんて普段言ってる人が、そのつながりで「選挙頼む」ってしつこく言ってくるのには閉口しちゃうな・・あえて言うなら拝んで全てその通りになるんなら「選挙頼む」なんて電話してねぇで、その時間を惜しんでしっかりと拝んでろよ、みたいな・・
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ニョウゼンクロイツ
0
無根拠に信じるのは、信じるのではなく妄信だと思います。 状況に対する分析をせずに、「こういうものであってほしい」という願望を思い込むことは、きわめて危険な行為です。
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『ある』と思うこと
mimiq
0
形の残らないものや実際に手にすることができないものを『ある』と思うこと。数学なんてそんなところからスタートしてると思うけど。線と点だって『ある』と仮定してはじまっているのだし、1次元2次元の考え方も同じようなもんじゃないかな。宗教における神は存在するか、ってこともそうじゃないかな。哲学もおんなじような感じ。個人によって捉えかたが異なるから絶対と言い切ることはできないけれど、少なくともわたくしはそのように思いますよ。あとはなんだろうなあ、本人の心の中で疑いなく思えることなのかな。理由はなくともそう思う、思えることが全てだと思います。
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neko-honpo
0
勇気を持つということだと思います。自分を信じるのも、他人を信じるのも、神様の采配を信じるのも、とにかく勇気が必要です。最後まで信じていられることって意外に無いですよ。「自分の事は信じてます」という人も大勢いますけど、そういう人も本当は自分のことを信じ切れてないと感じます。成功して一段と高いところにいける可能性があるとわかっていても、安定した会社を辞めて事業を起こす人は少ないでしょ?つまり、やってみたいけど成功するわけないよー。って思ってるわけです。自分を信じられないわけですよ。とどのつまり信じる勇気がもてない。そういうことではないですかね?
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その二割のおかげで信頼は成り立っているのだと思います。
ニコ
0
信じるってことは なんの根拠も 何の理由もない 証拠もないことだから 信じるってことは つまりそれは それでも信じたいということだ - プリズム/ランクヘッド これしか思い浮かびませんでした。すみません。 自分の言葉で言うと、信じるってことは、八割が信じられるってことだと思います。可能じゃなくて受動です。信じてくれるから信じられる。だから信じてくれない人は信じられない。残りの二割で直感的に人を信じるんだと思います。その二割のおかげで信頼は成り立っているのだと思います。
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to*
0
『信じる』という事は、信じる・信じないの次元ではない状態だと思います。言語化は難しいですね。
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ayabun
0
許す事だと思います。
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stars
0
人は『信じる』という行為によって心の隙間を埋めているんじゃないかな?それによって救われている人もいるだろうし。
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pocori
0
この人はこーいうカンジだよな〜こーするだろうな〜あ〜でも別にそうじゃなくてもいいや〜〜ってカンジの状態だと思います。あるがままの姿を、許容できる状態な気がする。よくわからん。
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こたえはたったひとつ。
Mitzz
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自分にとってのこたえはたったひとつ。 結果の可否にかかわらず、待てるかどうか、ってことかな。
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LENA
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そうですねぇ〜、、、自分を「無」にするということでしょうか。
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人間に備わっている「美徳」なんだろうね。
AZ
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一言で表現するならば、それは疑わないことだね。または、心の奥底に疑念を押し込んでしまうことだろう。どんな人間でも必ず“疑う”んだ。貧乏人には貧乏人なりの理由があるし、金持ちには金持ちの理由があって、悲しいことに僕たちは疑うという行為をやめることはできない。それが自然といえば自然だし、ずっと繰り返されてきたことなんだろうね(苦笑)。だから、信じるっていう行為は、随分と無理をしていると思う。結局は自分が信じたいものしか信じないしね。疑うことにくらべると不自然というか、極めて都合のいい考え方なんだ。ただ、誤解してほしくないのは、僕はそれを否定しているわけじゃない。皮肉に聞こえるかもしれないけれど、人間にしか備わっていない美徳の一つだと“信じている”からね(苦笑)
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a0318a
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私は基本的に誰のことも信じてしまう人なの。お人よしって訳。だから誰にでも頼るし、甘えるわ。あえて言うなら、今私が信じているのは、家族≧恋人≧男友だち>女友だち。
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miesque
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日本を代表する騎手である武豊がデビューして2年目、武豊はスーパークリークと出会った。武豊は「スーパークリークならG1を勝てる」と秘かに心に思い、ダービーを目指すも残念ながらスーパークリークが骨折。目標を秋の菊花賞に切り替えるが、その大事な前哨戦で負けてしまい、賞金が足らず菊花賞ではフルゲート18頭のところ、20番目の出走順になってしまう。事実上、スーパークリークの菊花賞出走が不可能になったため、武豊のもとには、他に4頭の馬から騎乗依頼が来た。しかし武豊は「菊花賞ではスーパークリーク以外の馬には乗らない」と語り、そのすべてを断った。菊花賞の直前になって2頭が出走を回避し、スーパークリークと武豊は菊花賞に繰り上がりで出走できることになった。結局菊花賞ではスーパークリークは2着馬に5馬身差をつけて優勝した。優勝インタビューで勝因を聞かれた武豊は、「勝因は出走できたことです。」と語ったという。
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