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生活・人生 32人が答えてます

では、これまで何に救われてきたと思いますか?

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簡単に答えると、ベタな価値を愛していること。もう一つは、『救われない』ということに救われている。不完全が駄目なのではなく、不完全さと付き合っていけばいいと思った
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「神様」って浮かんだひと。
**k
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そうですね〜。救われてきた、というぐらいなんですからよっぽどのことなんですよね。うーん。基本的には、今は『救われたくない』んですよね(笑)。どんな神様でも、どんな人にもどんなヒーローにも救われたくないな、と思ってます。いいよ、なんか心配してもらってありがたいけど、なんとかやってみるからさ〜というような。そんなに心配しなくてもやってみるよ、と思いますね。失恋とかすると「今の私は、誰にも救えない!神様でも無理っぽい。えーん」とか思ったことありませんか?「救えるかいな!欲しいのはあの人なのよっ」と(笑)。神様が救えないけど、失恋相手が救えることもあるんですねえ。いやぁ〜人間って凄いですね。まあ、これまで、と考えると確かに昔、娘が小さいとき救ってくれ!みたいに思ったことはありますけども。救われてたら今の自分と娘はないでしょうねえ。救いというのはひとつの保護でもあるような。保護されたら自由はあるんでしょうか。どうなんだろ?とにかく、本当に大変なとき神様とか出てきませんでしたよ(笑)。日々の行いが悪いからですね。「お前は救わない」と思ったのでしょうね。それからは、まあ、自分で救ってやろうかと思うようになりました(笑)。ひとつあげれば、学問かもしれません。養老孟司さんの存在は大きかったです。唯脳論から始まったんですけれど。今でも養老さんの本は読み返してます。私は、自分を知らなすぎた。知らなさすぎたのに、今と行動力は変わらない。それはとても危ういし、暴走行為っぽい感じですよね。ちゃんと免許持ってから運転しろよというような(笑)。救うのはそれからだ、と神様も仰っているんじゃないでしょうかね。ほらなんかキリスト教では「天は自ら助く者を助く」らしく、神様もけっこう残酷だったりするんじゃないでしょうか(笑)。父性愛ですねえ。救う前に、要観察。神様だってそうなんですからね。ましてや人間が。結局は、「お前どうにかしろよってことなんじゃないの?それを始めに言ってよね」とは思いますね(笑)。今も昔も無知ですが、今は知らないことがあると知ってる方の無知なので少しましになったつもりです。まあ、あんまり変わりはないけどね!だって脳みその細胞は毎日破壊されてるんでしょ?減ってる可能性は高いよね。って、何の話しでしたっけ??
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ちょっと前に思ったことなんだけどさ。映画にしろ小説にしろ音楽にしろ、そういうものって救いなんだよね。例え、誰かが『くっだらねぇ』って吐き捨てるように言う作品でも俺にとっては、俺のその瞬間にとっては何にも代え難い救いになっていたりするよね、うん。何度も繰り返し読んだり見たりすることでその作品は自分の一部となって、心の奥でいろんなものと混ざり合って、ふとした瞬間自分を励ますものになっていたりする。そう考えると、どうしようもないクソった作品も簡単に見る価値なしとは言えないよね。ものをつくることを生きる糧にしている者として、誰かの救いになるようなものを作りたいと思うよね、どうしたって。でもさ、それは救ってやろうなんていう上から目線じゃなくて、救いになったらいいよね、みたいなふわふわした感情なんだよね。救うって実はあんまし好きな言葉じゃないな。『愛は地球を救う』とかもう本当に反吐が出るよね。自分たちが滅びたくないってことを、地球に優しいみたいなことにささっとすり替えてる感じね。エコっていうスパイスが効きすぎて、元々なんの話だったのかわからなくなってんじゃねぇのかな?で、いったい何に救われてきたかっていうとさ。これがもう子供の頃読んだ『オバQ』とかだったりするわけだよね、まじな話(笑)
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うん、だいぶ仕事に時間を食わせてるけど、やっぱ気持ちとか感情とかあるしね。 私は小心者というか解釈が多い、大きいというか、何気にピンチを感じやすい(笑)。自分が落ち着いていなきゃいけない職種だし、周りを見ているとやっぱいつもどこかで誰かが困っていたり尖っていたりもする。だから私が自分を取り戻すことがとても大事。睡眠。特に昼寝。ものすごく自分の中のバランスを戻してくれる。さっきも睡眠時間の話をしたけど、やっぱ寝ないと神経まいってしまいやすいんです。 ちょっと煮詰まった時は時間を見つけて横になります。あ、時間を見つけて、ですよ。昼寝した後でメールが届いて、読んで「ああ寝てから読んでよかった」とか思うことがある(笑)。寝る前に読んだら絶望しただろうなって。あとは失恋した後なんかも、朝が来るたびに「ああ、睡眠のおかげで自分をとりもどせた。頭もスッキリしたし、昨日よりつらさを忘れてるみたいでよかった〜」って睡眠に感謝したこともある(笑)。 あとは音楽、友達、言葉。自分でつくった、美味しい料理。
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家族、友人、出会ってきた人達かな。俺は生かされてると思ってるよ。
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そうですね、あえて言うなら人かな? 中学校の時になんでだろう?同級生とか学校の先生がどうしても幼稚に見えて。自分はもっと凄いことをする人間なんだって、いつも思っていた。もちろん根拠なんてどこにもない。ずっと自分の居場所を探し続けてきて、いまなら「そんなものはじぶんで認めるしかない」ってことにも薄々気付いているんですよ。でも、今さらそれを認めてしまった、今までの自分がかたくなに守ってきたものってなんだったんだろうってね(笑)。そんな自分の小さなプライドのために傷つけたり、失ったりしたものはかなりのんもんやなって自分でも感じてますし。そうやって救ってきてくれた人々に対しても、恩を仇で返すというか…あー、なんだろうな。これ書いていたら泣けてくる。自分のやって駅たこ撮ってやっぱり間違ってたんだろうなって、認めるのってこんなに辛いことなんだ…。でもその先があるって信じて、しんどいながらもやっていかなきゃならないね。
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そうですね、運でしょうか。何かに守られているって小学校の高学年頃から感じていましたが、三十を過ぎて確信しました。その何かを突き止めたいような気が最近しますが、それを実行したら途端に運に見限られちゃうかな(苦笑)
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別に何にも救われてないかな。 しいて言えば神様(笑) 俺は幸運の元に生まれてるからねー。 あまり苦労はしたことないんだよね。 まあ、それゆえに今苦労してるんだけども(苦笑) でも、ここ一番って時には必ず上手くいくからね、何事も。 ぶっちゃけもう駄目だって思う前に救いの手が差し伸べられる。 ちょっと早いよ神様(笑)って思ったりもするかな。 まあいつなくなるかわからない、感覚だけのものだから、それに期待は全くしないけども。 子供にこの幸運を全てくれてやるって思ったけども、まだ俺にくっついてるみたい。 分けてもあり余る幸運か。。。すばらしい! あ、でもギャンブル運とかは全然ですよ。 ひどいもんです。ビギナーズラックもあったもんじゃない。 宝くじなんてもってのほか。 スピードくじすら全く当たらないからね(笑) 天は二物を与えずとは、よく言ったものですね。
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そうですね、やっぱり家族でしょうか。あえて言うなら妻と子供達の笑顔。
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ズバリだよ。 家族の愛。恋人の愛。 これがなかったらやっていけてなかったし、これからもやっていけないよ。
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初めて書く2卍がコレです。どうかよろしく。 さて、本題に入ろうと思いますが、改めてテーマの確認を。 「これまで何に救われてきたと思いますか?」 まず考えたいのは根本的に救うとは一体どういうことなのか。救うというからにはまず救われる前の段階でマイナス方向からのスタートにいるはずです。そこから自分が救われた、つまり上方向に向けてスタート地点から動いたということですか。それも自分で動く、能動的ではなくて受動的に動いていくのですか。 ぱっと思いつくのはまず自分が無だった時から自分を形成せしめた両親の存在でしょうか。 両親は確かに自分を無といういうなれば虚数的な場所から今『存在する』という位置づけまでもってきてくれました。親が居なければこんな暇を無駄にもてあまして幸せな自分もいないのです。さらにさかのぼれば祖父母、さらにその上までいってしまうわけですが、それでは堂々巡りなので語る意味が無いです。 今自分は何に救われているか。 自分は今まで他人に頼って生きてきました。 それを考えれば自分以外の全ての人間に救われて、今尚救われ続けて自分が在るのです。とも考えらるような気がします。 特に自分はまだまだ未熟なので交際相手の異性や親しい友人には多大な迷惑をかけてしまいます。でも、彼らの存在で自分は常に救われてきました。 自分の家は一応仏教ですが、自分はあまり信心深いほうではありません。なんと言っても神様は目に見えないのですから。こういう部分ある意味自分はとてもリアリズム主義者なのではないかと思います。ですが思い込みと言いましょうか、妄想癖らしき部分もあるのでそれは慎重に考えなければいけないと思います。 脱線してしまいました。自分が今まで何に救われてきたか。 先ほども述べたようにやはり交友関係には救われています。たとえソレがもう失われてしまった交友関係だとしても。それらは過去の自分に於いて何らかの形で干渉して、当時の自分の考え方なり、行き方として反映されているはずです。自分では気づかない部分だとしても深層の部分で絶対に何か作用しているのです。間違いなく。 そして過去の自分があるから今がある。過去が無ければ今も無ければ未来もないのです。 過去に捕らわれてこれからの人生を生きていくつもりは更々ありませんが、それでも過去は自分にとって大切な鍵であることに自分は絶対の自信を持っています。 それらはどれだけ恥ずべき行動をしていようとも、今の自分が誇らしい自分であれば何一つ恥じる必要は無いのではないでしょうか。 自分は今までの人生にかかわってきた全ての事物。今関わっている全ての事物。そしてこれからのそれら。全てに救われて生きています。生かされてきました。そして当然のごとくこれからも。 自分も誰かを救いながら生きていきたい。それは傲慢な考えのように思われるが、それでも自分はかまわない。人間は傲慢な生き物ですから。
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一言で言うと「意地」ですね。
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子供のころから培われた、大人を信用しない、もしくは期待しない性格ですかねぇ。 人間不信というわけではないんですけど、肩書のある人や、責任者といわれる人に過大な信頼は置かないようにしています。 そうすると自然に先を読んだり、周りの状況を冷静に判断することを心がけるようになったんだと思います。 たまに失敗するけどね(笑)
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運じゃないかな?
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たくさんありますよ。まず家族。失恋に溺れようと家出しようと何しようと、永遠に見捨てないでいてくれるなんて関係はそうは多くないでしょ。勿論友人知人たちに助けてもらったことはたくさんある。そういうことに対しては、できることを返してあげるしかないんだけど、どのくらいそれができてるかどうかはわからない。あ、そこまで言わなくていいんだっけ。あとは…そうだねえ、やっぱり音楽は欠かせないかな。もっぱら前向きでポジティブな歌よりはどよーんと深みにはまり込むような歌のほうが好きなんだけど、時に癒され、時に励まされ、時に慰められ。これまで何百という曲を聴いてきて、得てきたものは多いよね。加えて、ライブハウスに行くようになって歌い手さんや演奏者と直接コミュニケーションを取れるようになったことと、mixiってコミュニティサイトに加入してから、やはり歌い手さんや演奏者と直接交流できるようになったことは、すごく大きいね。雲の上の人たちと向かい合えるのだから。ただ、そうやって距離を近づけていくのはいいのだけど、超えるのに「覚悟」しなければいけない一線というのは、ある。それは同人誌を買うようになってから痛切に感じてることだけど、不必要に近づいてはいけない。近づいたところから自分の都合だけで逃げ出すのはもっといけない(笑)。知ってか知らずか、自分から近寄らないようにする人たちもいる。咎めはしない。ただ、それで面白いのかな?とは思うね。
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記憶ですね。初めてつきあった彼との記憶です。家族とか身内との間の愛情って、「だって身内だから」「子供だから」「親だから」という理由がつけられるじゃないですか。身内だから愛せるってもんじゃないですけど、本当は。友達もすごく大事で、お互いに親しみをもってる。ただ、その彼とつきあい出した時、初めて、異性としての自分を意識したんです。異性として好きになった人に、異性として好きになってもらえたということが、すごく嬉しかった。2年半くらいつきあって別れたんだけど、その間の記憶は良いものも辛いものも全部、自分を勇気づけてくれます。20代後半に仕事が行き詰まってどうしようもなくなった時期が続いて、その時、ものすごく自己否定してました。発作的にでも、死なないですんだのは、彼との記憶があったからだなあ。少なくとも、自分を肯定して、愛してくれた人がいたという記憶ですね。それに救われてました。だから、彼にはずっと幸せでいてほしいって思ってます。
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そうですね、日々の生活、それは仕事とかプライベートとか、まあ自分にとってそう言う公私の境はあまり無いんですけど、そのなかでかならずモチベーションと言うか、その 生きるエネルギーみたいなものが極端に減衰するときというのがある訳で、それが『救われない状態』だと思うんですが、じゃあそっから救われるきっかけは何かって言うと、ひとに肯定されたときなのかな。ぼくの世代のひとはまわりを見て思うんだけど、今のポスト産業資本主義みたいな世の中に違和感を持っているひとが多いんじゃないかなあと感じるんです。それって何の違和感かなあと思うんだけど、金が差異の指標だっていうある種の未だ根強い支配感とのギャップのような気がします。で、それはそうじゃないと言うとキレイ過ぎることを言ってるみたいに思われることが多いんだけど、実際、これからの世の中がどうなってったら良いかって思うと、やっぱり、今の世の中の金なんて言うのは所詮安い労働を買って、その差異から生まれた成果物に過ぎない訳で、そんなものが長続きする訳は無いと思うんです。日本の十分の一で仕入れた中国の労働力で作った他より「安い」という「価値」を持ったモノで人がしあわせになる訳が無いと思うんです。少なくとも、わたしは救われない。自分のなかにある無形の資産から誰かのために輩出した行動や成果物。それに対して、プラスのレスポンスがあった時。それが自分を救ってくれる状況かなあと思いますね。
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ホントはここで音楽って迷い無く答えられたら格好いいんですけどねー。でも残念ながらそうじゃあないんです。友人です。落ち込んでも悲しくても怒りくるっていても、そんな自分を見守って支えてくれた友人たちですね。私は結構感情の波が激しくて相手をするのはすごく大変なことだと思うんです。しかも色々なことに首を突込みがちだからゴタゴタが余計に多い(笑)誇張じゃなく、よく今でも友達でいてくれるなーって尊敬しちゃう。私がこれまで山ほど救われてきたように、私も相手の救いになりたいと願っているんですがなかなかこれがうまくいかない。ふがいないですがそんな自分すらも理解してもらってると勝手に信頼して、これからも大事にしていきたいです。
K.K
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自分は、この世の中に存在する有形無形も関係なく全てのものに救われていると思う。直接的にも間接的にも。自分がここまで成長して、この場所で生きていられるのは、両親や周りの人がいたからだし、自分を支えてくれる社会や法的な制度とか、そういうものが存在してくれていたからなんだと、最近は特に感じるね。今までの自分は、子供だったなぁって思うよ。働いたこともないくせに新聞やニュースに載る社会の闇の一部分を見て、世界全体を批判していた。そうやって大人の世界を皮肉っていないと、将来の不安というものと正面から向き合わなきゃいけない気がして、怖かったんだと思う。臆病者なんだ。でも、今はそういうことは言えないし、今更そんなこと言ってられない。高校を卒業して、大学に入学した途端に自分の位置座標や能力や目の前の状況を知らなきゃ、何も出来ないことに気付いた。嘘や皮肉でどうにか回避していこうと思っていたその考えが間違いだった。そして、あまりにも自分というものを見ていなかった自分がいたことに気付いた。気付いていなくても大学まで行けたのは、自分はそれだけ支援されて救われていたということだったんだと、その時に初めて実感したよ。そして後悔した。今まで恩を仇で返すようなことばかりしていた気がして、申し訳なくなった。今は『償い』ではないけれど、今まで自分を救ってきてくれていたこの世界というか、自分の周りにどれだけ恩返しが出来て、そして、今度はどれだけ救ってあげられるかを考えて行動するようにしているよ。この世は、なんだかんだいって相互救助で相互支援の世の中だと思う。暗いニュースは確かに多いけれど、それを払拭して世界を明るくしようとする人々や社会があることだって忘れてはならないと強く言いたい。
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