アバウト
お知らせ
ユーザー登録
ログイン
新着インタビュー
質問一覧・作成
ランキング
«
»
愛・恋・異性
15人が答えてます
昨今、政治、環境、様々な問題が取り沙汰されていますが、身近な人に対する人間的配慮が布いてはそれらをも改善すると考えています。あなたは、周りの人をちゃんと愛せていますか?
ログインしてインタビューに答えよう
ドストエフスキーが言ってた思うけど、『人類愛を語るのは簡単だが、隣人を愛するのは難しい』というのが問題になるよね
モン
1
その理想は素晴らしいね。忘れてはいけないことだと思う。 でもね、幸せになろうとする故に不幸になるってことが起こる。 理性そのものが危うかったりする。 ドストエフスキーが言ってた思うけど、『人類愛を語るのは簡単だが、隣人を愛するのは難しい』というのが問題になるよね。よく見えない人を『愛そう』と簡単に言えるけど、自分の交友関係全てに目を配れる? 凄く難しい。人間は残酷だからね。まずはここからだな。人間は冷酷で残酷であると。冷酷さと残酷さの延長線上にしか、愛は機能しないんじゃないかな。そこを受け入れた上で、何かできないもんか
パーマリンク
「ありがとう」という若手の芸人さんからのメール。
**k
0
解りませんね。ちゃんとというのが、何をもってちゃんとなのか。さっぱり。ただ、配慮とかご立派な言葉ではないんですが、若手の芸人さんからメールをいただくことがあります。「ありがとう」って。私が芸人さんのことを書く文章を落ち込んだ時に読んで、なんか少し嬉しかったとか。そう言うとき、ああ、webやってて良かったなと思うんですよね。若手の芸人さんって辛いでしょう。辛いというのは変かな?大変ですよね。いろんな意味で。そのとき、彼らへ向けて書いた一つの言葉が伝わった、と思うと書いてて良かったと思うんですよね。ちゃんと愛せているかとか、それが政治や環境やさまざまな問題の改善になる、とか思ってないです。考えることはあるけれども、日々思ってません。ただ、こう言ったことが年に幾度か繰り返されたらそれはハッピーだと思います。だって。一番彼らのことが好きですから。笑いに向かって努力している人が好きなんですよ。彼らの笑いが、他者の人生を変えることだってある。それによって、犯罪を止めてしまう人だっていると思うんですよね。バカバカしい気持ちになってやめた、とか。だから、彼らに何かが伝わるとき本当に嬉しいです。本当に嬉しい。私も頑張ろうと思う。本当に小さいことですが、ただそれだけです。
パーマリンク
sickam
1
僕が周りを愛することができているかどうか、必ずしも自信をもって断言はできないよ。僕が愛することよりも、相手が愛されていると感じているかどうかのほうが大切だからね。でも、愛することの大切さを忘れたことはない。今の世界はあまりに複雑すぎて、愛することだけで世界を救えるということを信じることのできる人は少ないと思う。それに僕自身、愛だけなのかと思うこともある。それでも、僕は人を愛したいと思うよ。愛されることよりも、愛すること。与えられることよりも、与えること。そういうことを一人一人が信じることができれば、もしかすると世界は変わるのかもしれないね。
パーマリンク
copoo
0
とりあえず自分が一番好きですね(苦笑)
パーマリンク
junta
0
あえて言うなら僕は人間が嫌いです。もちろん自分も大嫌いです。なので愛せていません。だね、うん。
パーマリンク
♪すいか泥棒
2
貴方の意見は訊いてない
パーマリンク
pop-up
0
愛せてるから独りではないんじゃないかな?自分が愛を注がないのに愛してもらおうと思うのは自分勝手だと思うんですよね。愛して欲しいなら自分から愛しちゃいなよ!それが繋がれば人間的な配慮も要らないんじゃない?
パーマリンク
偽山文美
0
身近な人に対する人間的配慮=愛ではないということを理解しないと、これらを代表とするすべての問題は解決しないと思ってるんだけど、どうかな。だいたい、ちゃんと愛するってどういうこと? まず "愛せ" っていうのは無理な話しで、特別な愛などなくても周囲に配慮しようとする姿勢こそが大事なんじゃないのかな。"愛" って言い方なんか気持ち悪いよね。自分だけ?(笑)ラブ&ピースとかさ、胸くそ悪いんだけど
パーマリンク
ニョウゼンクロイツ
0
何を論点にしたいのか分からないので後日リポート用紙にまとめて郵送してください。
パーマリンク
愛するという事は感情ではなく、意志の力なんだ
raurublock
3
私の両親はクリスチャンだったので、私も幼少時から両親に連れられて教会に行くことが多かった。その教会での説教で繰り返し聞いた話がある。キリスト教の根幹と言ってもいい「汝の敵を愛せ」という教えについてなんだが、こういう話。キリストは「汝の敵を好きになれ」とは言わなかった。嫌いな相手を好きになるってことはさすがに無理だ。好き嫌いは感情の問題だから、頭ではどうしようもない。しかし、嫌いな相手を愛することならできる。愛するというのは、感情ではなく、意志の力だ。嫌いな相手を嫌いだという感情は持ったままでもいい。しかし意志の力でその感情を乗り越えることなら、人としてできるはずだ。という話。キリスト教ではアガペーとしての愛について教えているけど、例えば夫婦の愛も同じなんじゃないかな。恋に落ちるというのは感情の問題だ。しかし、死が二人を分かつまで相手を愛し続けるというのは、感情ではなく意志の問題だ。相手を好きという気持ちはやがて薄れるもの。気持ちが薄れた後でも相手を愛し続けるという強い意思が自分にあるか。そういう意志としての愛を持つことは、感情としての恋とは違って、理性ともうまく調和できる。そういう意志を持って理性的に他人を愛すること。それができるかどうかは、世の中が良くなるかどうかに大きく関わってくる。今の自分がそういう意志を必ずしも持てているとは言わない。しかし持ちたいとは思い続けてる。
パーマリンク
hi-lowa
0
周りのやつらが全員嫌いでも人類愛は説けるだろう。愚問。
パーマリンク
sincrea
0
はい、大好きです(笑)関係がアレになっちゃったヒトも含めてね。
パーマリンク
こんな俺でも彼女がいるので、愛してますよ。あえて言うなら愛してますよ。
Actiondesign
0
質問の意味が前半はよく分からないんだけどさ・・。 後半の周りの人間を愛せているか?って事に答えるよ。 まぁ、こんな俺でも彼女がいるので、愛してますよ。あえて言うなら愛してますよ。 愛するって事は“相手への気遣い”だと思うワケですよ。長い付き合いになってくると当然倦怠期を迎える。そうなると相手へ感謝の気持ちなんかが薄れてしまう。まぁ、そりゃ月日が経てばそうなるのは仕方ない。 じゃ、どうするのか?そこは俺が意識的に『相手を気遣う時間を作ろう』と決める事が必要なんですよ。 相手を気遣うとはどういうことか?それは、ちょっとした事です。例えば、彼女の好きな料理を作ってあげることや、エッチの後に彼女が寝るまで頭なでてやるとかさ。 そういう些細な事が結構重要だったりするわけで。 今の俺は彼女に対して、そりゃ新鮮さはありませんよ。だからって単純に別れるでは馬鹿すぎる。そんなんじゃ何時まで経ってもいいパートナーなんて見つかりませんぜ。 要は自分の気持ち次第ですよ。いつまでも新鮮な気持ちが続くのは不可能なので、そこは割り切って、ただ彼女の良いところ悪いところを全て受け入れて、多少の事には怒らず、常に彼女の味方になって、結局悪いことは自分が引き起こしているぐらいに考えて、彼女とやってけばうまくいくと思うんです、ハイ。 そろそろクリスマスです。まぁ、好きなもんを買ってやります。
パーマリンク
ちぎ
0
日本語って、とても難しくなってしまったんだね。えーと、よくわからないけど、そうですね、あえて言うなら、わたしはまわりの人を多分愛せているじゃないかと思います。
パーマリンク
na0
0
『布いては』が読めませんでした。意味も分かりませんが、お布施、布教と同義の『布』のようです。何と読むのですか?質問に対する答えですが、『身近な人に対する愛』は『疎遠な人に対する不愛』を生む気がします。『身近な人に対する愛』では質問にあるスケールの問題は解決しないと考えます。質問の前文はこのインタビューにおいてどのような意図があるのでしょうか?
パーマリンク
↑