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家族・恋人 32人が答えてます

お爺さまの思い出をお願いします。

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母方の祖父は私が生まれる数年前に亡くなっていたので、父方の祖父は私にとってたった1人の祖父だったんです。 祖父は年に1、2回、我が家に泊まりにきていました。手土産は決まってミスタードーナツ(笑) 祖父は耳が遠くて補聴器をつけていたんですけど、都合の悪い話だけ聞こえないフリしたり、私がテレビを見ていると無断でテレビ東京にチャンネルを変えたり(苦笑)、勝手(というかフリーダム)な行動が目立つ人だったので、私は祖父が泊まりに来るのが正直嫌でした。お年玉は500円だしね(笑) それでも私が小2の時、一度だけ2人で散歩に行ったことがあります。公園の売店で200円のソフトグライダーを買ってもらいました。嬉しかったです。 小5の時も一度散歩に誘われたのですが、祖父の言ってることがうまく聞きとれず、思わず私は「やだ」と言ってしまいました。それで後から「ああ、あれは散歩って言ってたのか」と気付き、後悔しました。耳が遠いのは私の方ですね(笑) それから数カ月後、祖母の13回忌の半月後に祖父は脳梗塞(実は3回目)で倒れ、半身不随になり、頭もすっかり呆けてしまいました。 私は変わり果てた祖父の姿を見るのが怖くて、なかなかお見舞いに行けずに居たんですが、祖父が倒れて半年程経った頃に、意を決してお見舞いに行きました。 すると、自分の息子や孫のことすらわからなくなりはじめていた祖父が私の姿を見て「大きくなったねえ」と言って涙を流したんです。 遠方に住んでいたし、孫達の中でも私とはあまり交流がある方ではなかったので、祖父が私のことを覚えていたことに私も周りもとても驚きました。 私が思っていたよりも、祖父は私のことを可愛がっていてくれたのかな。 私が生前の祖父に会ったのはその日が最後でした。 祖父はどうやら晩年もプレイボーイだったようで、祖父の葬儀に見知らぬおばあちゃんが多数参列してて、みんなおいおい泣いていたのが印象的ですね(笑)
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じいちゃんかぁー涙なしには語れないよねこれは(笑) じいちゃんはさぁ、もちろんうちの家系を僕に教えてくれた人なんだけどね。 まぁ厳しいこと厳しいこと。眉間のしわが伸びてたの見たことないね(爆笑) もちろん、僕が小さい頃は孫として笑顔であやしててくれたと思うんだけどさ。 物心付いたころには、すでに怖い怖い顔だったからね。 じいちゃんは海軍さんでさ、そのあと自衛隊にいってたみたいだけど結構上のほうだったみたい。僕らが小学生の頃、屋敷の2階で遊んでいるんだけどちょうど爺さんの部屋の上でさ。足音がうるさいわけよ。ちょっと大きな音がするとすぐに2階に上がってきて怒鳴るわけですよ「何をやっとるかぁー」って。友達もみんな恐れていたからね。本当に冗談じゃなく死んだふりですよ(笑)昼寝を装うわけですよ(爆笑) ある友人なんか立ってまま柱に寄りかかって寝た振りしてましたね。いま思えば昼間に友達の家に遊びに来てて昼寝なんかするわけないのにね(爆笑) そんな爺さんも3年前に死んだわけですが、いやぁーなんていうか泣けましたね。 遺影なんかまともに見れなかったですよ。 いつだったかな、爺さんが病院のベットの上で戦争のときの話をしてくれましてね。 シナに上陸するときの話だったかな。敵も自分らも守るものがあって、生活があって家族がいて楽しみがあってみたいな話し出しで…もちろん戦争という行為を肯定しているわけではないんだろうけど、いわゆる「仕事だったよなぁ」的なことを言ってたことが印象的だったなぁ。いい爺さんでしたよ。
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あたいが生れた時には父方の祖父も母方の祖父も他界してたんだよね。だから思い出はないんだけど、母方の祖父について知ってる事を話そうかな。母の実家は小さな炭鉱町の映画館をやっていて、母が小さな頃は娯楽といえば映画だったから映画館は大繁盛、幼い母も手伝いに駆り出されたらしいよ。当時の祖父は○○の映画王と呼ばれていて、家にお金を入れないでかなり豪遊してたみたい。愛人も何人かいて母と同い年の隠し子もいたんだって。だから祖母は相当苦労したらしいよ。数年後に火事で映画館は全焼。母は一時期その愛人の子の家に一緒に住んでたんだけど気まずかったらしいよ。それから祖父は行方知れずになったんだって。一昨年母と一緒に実家の跡地に行ってみた時は駐車場になってたよ。母はたまたま近くにいた愛人の子と再会して1時間近く話し込んでた。もうわだかまりはないみたいだったね、うん。
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ぼくが小学校2年のときに他界した父方の祖父には生前、よく上野動物園に連れて行ってもらいました。そんな思いでもあって、非常に面倒見のいい人だった印象をもってます。その影響で今でも上野動物園が大好きで年に2度位行きますw動物園の帰りには決まって上野の蕎麦屋でご飯を食べて帰っていたのですが、その時に鴨南蛮にハマり、それがいまでも大好きなメニューの一つになってますね。祖父の部屋にも良く遊びに行っていたのですが、そこで頻繁に目にしていた赤と青でストライプにふちどりされた封筒。そのことを母に聞いてみたらどうやら海外にガールフレンドが居たらしく、頻繁に手紙のやり取りをしていたようです。でね、手紙のお相手の女性は葬式のときにお線香をあげに来ていたらしくて、一体2人がどういった関係だったのか、今では知る由もありませんが気になることの一つです。
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ストーブの前で、4人の息子(うちひとりは父)のことについて話してくれたこと。うちの父は、ずる賢い子、だったかなあ? 何を話したかよく覚えていないけど、祖父と会話したのはそれくらいしか記憶がないです。でもあの時、ストーブを囲んで私や弟、いとこと話したシーンは忘れられません。
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仕事で忙しい父の代わりに、いつも遊んでくれたのが祖父であります。 なので、私はおじいちゃん子。頭がよくて、ハンサムなおじいちゃんは、いつも色々な話をしてくれました。 けど、8年前にくも膜下出血という病気で天国に行っちゃったんですよ。 初めて身近な人が亡くなり、お葬式の日に涙が止まらなかったのを覚えています。 感謝の言葉も何も言えなかったので、もしもう一度会えるなら、ありがとうって言いたいですね。
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ひたすらお兄ちゃんにプロレス技かけられてた(笑) あとはねぇ、なんやろ。ああ、そうそう。浮気して別れさせられたときは 必ず千昌夫の「星影のワルツ」を歌ってたらしい。聞いた話やけど。 ばればれやんね、おばあちゃんに(笑) あとは、お正月にざるを持ってきて、そのなかに小銭をじゃらーっと入れてくれて 『現金つかみどり』をさしてくれた。子供なのに銭に群がる図ができてた(笑) なかなか面白い人やったなぁ。小3の時に亡くなってもうたから、ほんまちょっとしか一緒におられへんかったけど。お酒一緒に飲みたかったわ。
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二人とも私の物心がつく前に他界してるので、ほとんど記憶がありません。もっと甘えたかったというのが正直なところ。でも私の右肩、絶対おじいちゃん乗ってると思う。右側だけ守られている気がする…左手と左足はやけどしてるし、左足首は捻挫してるし。昨日も左手の人差し指を怪我してしまって。でも右肩ばっかりこるんですよねぇ。何かあるぞ。
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毎年さ、大阪の天神橋ってところで、天神祭ってのがあったんだよ。で、毎年じいちゃんにつれていってくれてたんだよね。俺って、あんまりおじいちゃん子じゃなかったからさ、でも、毎年それだけは、連れて行ってもらうために、一人でじいちゃんの家に電車に乗って行ってたね。なつかしいね。まあ、夜店とか出たりしてたんだけど、一番覚えてるのは、なんか神社にあった甘味処で、かき氷をいつも食べさせてくれたんだよね。宇治金時が好きだったんだよね。あと、それ以外には、じいちゃんの家にたまに遊びに行くと、近所の喫茶店でモーニングを食べさせてくれたんだよね。
Ria
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おじいちゃんは二人とも私が幼い頃に亡くなってて、正直あんまり記憶はないんだけど(苦笑)、それでもいくつか憶えてることはあるよ。まず父方のおじいちゃん。こっちはほんとに早くに、私が保育園児だった頃かな?それぐらいに亡くなってしまったんだけど、最期は隣町の病院に入院してて、なぜかその病院の名前と外観だけは今でも忘れてない。母方のおじいちゃんは私が小2の頃に亡くなって、その日学校に行ってた私を母が自転車で迎えに来たことは憶えてるな。あの日は授業が昼までだったから…土曜日だったんだろうな、今思えば。その少し前にお見舞いに行ったときに「Riaちゃん、治ったらおもちゃいっぱい買ってやるからな」って、優しく言われたの。でもおじいちゃんがもう長くないことは子供心にも分かってて、だから嬉しい反面とても切なくて、精一杯の笑顔で「うん!」って答えた。結局そのままおじいちゃんは亡くなってしまったけど、たぶんあのときの私の反応は間違ってなかったと今でも思ってる。なんだろな、つまり結局私はませガキだったのかも(苦笑)。
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ウチの父方の爺さんはさ、戦時中は空軍のパイロットだったらしいんだよね。かっこよかったんだろうね。 あと、今の自分の身長はきっと爺さん譲りだな(笑)。 そんな爺さんもさ、山登りの最中に半身不随になっちゃって、寝たきりの生活になっちゃったんだけど、家族みんなで介護したね。 まだオレが子供のころには爺さんが世話をして牛を育ててたんだ。毎日おもしろさもあったのか、餌やりの手伝いをしたっけなぁ。子牛が産まれる瞬間にも立ち会ったよ。ほんと生命の誕生って感動的なんだ。 母方の爺さんは年に数回しか会いにいけなかったんだけど、ま、ほんとのこと言うと、子供のころから車酔いがひどくてさ、爺さんのとこに行くのに車で2時間ちょいかかってたのよ。単に長時間車に乗るのがいやだったってのもあってね、実際(笑)。 でもさぁ、ちゃっかり正月には顔だしてお年玉はもらいにいくんだよね(笑) 爺さんとこには鯉の養殖場があって鯉の洗いを食べさせてもらったりしたなぁ。 あと梅の実を収穫にいってハンパない青大将に面食らったりしてさぁ(笑)。秋には栗拾い。山菜なんかもたくさん出してくれたけど、子供の自分にはあんまり・・・。でも今を思えば食べとけばよかったな〜って思うよ。きっと今はとてつもなく美味しく感じるんだろうな・・・。それからお風呂がなんと五右衛門風呂だったんだよねぇ。オレの年代で五右衛門風呂に入ったことあるやつなんて、そうそういないと思うよ。 ・・・とまぁ、爺さんたち(婆さんたちもだけど)との思い出を振り返ってみると、ほんとに子供のころからいろんな体験や経験ができて、自分って恵まれてたんだなって思うよね、ほんと。
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父方の祖父はわたしが幼い頃に病気で亡くなったんですよね。その祖父には、初孫ってことでとにかく可愛がってもらったよ。こわい人だったんだけどね、わたしには優しかったなぁ。お酒が好きで、いつも鼻の頭がちょっと赤いんですよ(笑)彼が亡くなったとき、わたしはまだ小学校に上がる前だったんだけど、彼との記憶は沢山残っていますね。それだけ、思い出深くて忘れがたいものだったんだと思うんだけどね。今もね、実家に、その祖父からもらった消しゴムがあるんですよ。黄色の大きな消しゴム。大切な宝物ですね。  それと、母方の祖父ね。彼は数年前、鬼籍に入りました。素晴らしい最期でしたね。あんな風に、最期の幕を下ろせたらどれだけいいだろうかって考えました。うちは両親共働きだったので、子どもの頃は母方の実家に、日中預けられてたんですね。なので、祖父母と過ごした時間は長いですね。そうそう、その祖父だけど、90超えてもなお、自転車に乗ったりしてたんですね。で、ある日畑へ出かけてその帰り道、車一台がやっと通れる田舎道で、祖父がとろとろ自転車をこいでいたら後ろから車がきたんですって。でも道が狭いから車は追い越すことができなかったわけですよ。それでね、その道が広くなったところで、その車、追い越しざまに祖父に『邪魔だどけじじい』みたいな暴言を吐いたらしいんですよ。そしたら祖父ね、帰ってきてから家族にその話をしてね、怒ってるんですよ。『じじいじゃない!』って。90過ぎてたらどうみてもじじいですよね(爆笑)
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父方の祖父は愛知在住なのであんまり印象に残るような思い出が無いんですよね、掘り出すなら今でも存命でふんどし愛用で毎朝の浄土真宗の文言を仏壇にお祈りするのを欠かさない顔のでかい頑固な爺さんってぐらいしか。母方の爺さんも、俺ががきの頃に亡くなってるからあんまり記憶に無い。これもまた掘り出すならさだまさしが年を取ったらこんな顔だろうなって感じの顔だったような。どちらにしても俺が生まれる前から既に核家族化してたから、どちらの祖父母とも一緒に住んでいた期間が皆無だから印象に薄いんだよね。
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いっしょにサンダーバードみたよ。いつもリビングに紙箱入りのハンバーガーが置いてあったな。
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アンパンマンのパズルをして遊びました。それだけです
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椿、縁側、珈琲と煙草のにおい、骨ばった大きな手、古びたラジオ、くしゃくしゃになったハイライト、黒いカメラ、しゃがれた声。カメラや天体に興味を示したのも、ルパン三世の五右衛門が好きなのも、全部おじいちゃんの影響。
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小学校から家まで送り迎えしてくれましたねぇ。確実にと言っていいほど酔いましたがね。
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悲しいかな産まれたときには、父方の方も母方の方もすでに故人だったため思い出は何も残っていないのですが…ただ、父方の祖父はかなりの酒飲みだったと聞いております。昔子供の頃、それこそ塩辛みたいな酒のアテになるような食べ物が好きだったので、『この子はおじいさんの血をついで酒飲みになる』などと言われたものです。今ですか?お酒かなり弱いです(爆笑)隔世遺伝はされなかったようで…予言は見事ハズレ(笑)でも、あいかわらずつまみ系の食べ物は好きですね(笑)
pon
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祖父は、おじいちゃんていうと、一緒に住んでたのは父方の祖父になりますね。母方はおばあちゃんによく面倒見てもらっていました。親戚っていうと母方なんだよね。で、一緒に住んでた方のおじいちゃんなんだけど。庭にサツキを植えててね、きれいに剪定して整えて、庭に短い小道があるんだけど、その両脇にサツキを丸く、なんかこう、ぽんぽんて丸いのがいくつか連なる感じのを並べていて、あと、庭の裏に回ると、ちっさい鉢の盆栽がたくさん並んでいました。細長いひな壇みたいのに、ずらーっと並んでる。盆栽はねぇ、何だろう。おばあちゃんがケヤキの小さいのを植えてたのは知ってるんだけど、実は盆栽とか木の名前には詳しくないんだよなぁ。で、思い出はね、その庭でおままごとばっかりしてたんだけど、おままごとのために土が必要だったりするじゃないですか。で、庭に穴を掘っては、間接的に怒られていました。直接には怒らないの、おじいちゃん。おばあちゃんとかにぶつぶつ言う。で、怒られるからだめよー、言われつつも、またこっそり穴を掘る、という。なんかおままごとに関してはわりと怒られることがあるんだよね。レンギョウの花を摘んでジュースみたくしたりするのに、花摘みすぎたりとかさ。レンギョウって、黄色い小さい花で、空き瓶に入れて、水を入れて振るときれいな黄色の水ができるの。よくつくったよ。
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母方の祖父。シベリア抑留からの帰還兵なのだけど、まあ子供の頃は新年の挨拶なんかに行くたんびに面倒な昔話ばかり聞かされたっけ。酒飲んで話すからな、そりゃうっとうしいよな。五年ほど前に身罷った。真冬に行われた神式の葬儀は雪がそぼ降る中で大変に、美しかった。後を追うように母方の祖母もまもなく脳梗塞で倒れ、やがて静かに身罷った。今では廃墟となった家は叔父の事務所として使われているそうだ。その、いまでは事務所になっている部屋で、通夜の時に一人で一晩眠った。母がこれ見よがしにアルバムを持ってきたので眺めていると、自分の写真があった。何枚も。全く記憶に無い。キャプションに『ら。二歳』とかある。同じ街に住んでいるが年に2,3回しか顔を合わさない自分の写真が、何故にその祖父の家のアルバムにたくさんあるのだろう??やがて、アルバムには従姉妹の三姉妹の写真が混ざり始め、さらにページをめくると、弟、また従姉妹の写真。・・・自分は初孫だったんだね・・・。
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