本当にどこにおいてきたのだろう…
もし、自分の生きたものを道路としてたとえられるなら、多分16歳くらいの地点でおいてきたと思う。
どうしてかは聞かないでくれ。
ただ、戻ることが出来ないから、多分どこかで「買う」か「芽が出る」まで待つしかないと言うことだろう
そんな感じではないだろうか?
誰かください。ただし拒絶反応はすごいです(爆笑)
昔みたいな日清カップヌードルのCMみたいに賞でもとりゃねぇ…
そういえば、自分でBLOGを書いたっけなぁ
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まあ、あまりテレビを見なくなったのは事実なんだけど…
プログラムというか、コンテンツが面白くないというのが本音だし…
ニュースの偏重報道には嫌気をさし、存在しない正義を大手を振って悪意の報道で満ち溢れているし
そんななか、「どうしようもなく、クソ」というか、(ワシがいうのもアレだけど)センスの欠片を感じないCMがこの頃2つ出てきた。
もともとはひとつだったけど、つい先日新しくノミネートされたCMがあったんだ
正直何が伝えたいのかわからない、踊りや、意に沿わない音楽つけて不愉快としかいえない。
まずはポッキーのCM
まあ、いきものかかりを否定しないし、歌自体はそんなにミスチョイスとは思わない。歌あってるのに、無意味というか、なにを訴えたいのかさっぱりわからない、踊りというか、こま割というか、正直センスを疑う赤いワンピース。
母親いわく「品がない」
間違いないと思うなんだろう、公式サイトのCM
もう、節操がないという次元じゃないと思う
しかしそんなCMを作るセンスの広告代理店とスポンサー(広報)って何のための目的なのかわかってるのかな?
全然わからないし…
もうひとつ、びっくりしたセンスの無いCMがガッキーの十六茶
びっくりするくらい歌が下手だったこと。それこそ、広告代理店のセンスを問うよね。商品自体は飲んだからわかるけど、すごくいいよ。いいけどCMはないわ
どうも、ワシガッキー嫌いみたい。もっというとこのとき出た当時U-18女優嫌い。ガッキーはミスキャストだろうといった「バラッド」
そうだ、ガッキーのCMでイラってきたのが、NTT東日本のCMだ。アレもねーや。
資源節約、ペーパーレスはまあわかるけど、家で動画見て、出かけ不要でエコって、そんな、エゴイストなエコ活動はないわ。まあ、それはNTTのアレだけどね
そんな感じのCMってどうなんだろう。
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もう企業も広告となる媒体だけで、WEBだけでいいじゃんね?
テレビって媒体に金を払うのをやめていたら良いさ。
テレビが無くても何とかなるし。
テレビのない生活は出来るけど、ネットのない生活はできるか自信なくなった。
なんていうのかなぁ
連想ゲームが勝手に脳内で始まり、自分で面白いと思った「答え」が急に出てくる。
一つの例で「鉄道」という言葉を聴いたとしよう。
鉄道→昔勤めてたっけなぁ→事故もしたっけなぁ→車も事故ったしなぁ→あんときは自動車保険入っておいてよかったなぁ
こんなことで、突然保険の話をしだす
脈絡が無さ過ぎるから「鉄道」→「保険」っていまいち分からない
平気で脳内で繰り返される。
それをよしとするか、どうか…
同時にそんなことしてるから、そもそも中央演算装置なんて、一つしか処理できないから、「話を聞いてない」って事も始まるんだね、うん。(苦笑)
パンの話だろう?ずっと疑問だよ
後に続くというが、そのまま聞けば、一緒に戦っているやつは「駒」、長は作ってもらっている人だろう?そんくらいにしか考えてないだろうよ(笑)
みんなのためと、言いながら本当は敵を一発ぶちこみたいんだろう?
本当は愛人のわがままだろう?なぜそっちを殴らない。巻き込まれることはあっても直接と言うのは見たこと無い。
あれはいけない。
賞罰は必要だ。一方的というのは良くないと思うが…
信じたいものを感じる。
信じることが盲目的になることがあるので、実行するのではなく、感じているだけでよいのかと思う。
信念とも違う…なんていうんだろう、そういうボワっとしたものね。
インスピレーションで「これ」っていうものかな?
そういうのもありかな?
信じる行為自体はしない。これはきっとずっとそうだろうねぇ
まあ、ちょっと語弊があるけどね(苦笑)
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世間での評価ということでは、信用するはつかわぜるをえないけど、そうでない場合は「信頼する」を使う
主観で書くけど、信用とは、片方向の信じ方(独りよがりの行為)
相手をある程度の評価または過大評価をしてみたものに実際には相手にはそれが出来ないことに落胆すること…という定義づけをしてたけど、実際に衝撃を受けたのは、漫画:ライアーゲームの4巻だったとおもうけど
敗者復活戦(一回目)が終わり次の三回戦の前に不安になった神崎直が秋山深一を呼び出した場面
急に直の必勝法「みんなが正直者であれば全員が救われる ライアーゲームはそういうゲーム」が本当に出来るのかと不安になったとき、秋山が「何でも信じるナオさんが人を疑うのかい?」といわれ、「あ、いけませんねそんなこと」と返したのだが、秋山は
「人は疑うべきだよと」
と。どういうことか
多くの人は、誤解しているけど人を疑うことはつまり、その人間を知ろうとする行為なんだ
「信じる」
その行為は紛れもなく高尚な行為だ…しかしね多くの人が「信じる」の名の下にやっている行為は実は<他人の知ること放棄>
それは決して「信じる」という行為ではなく「無関心」>
無関心こそ疑うより、遥かに忌々しい行為であることに多くの人間は気づいていない
俺(秋山は母親が自殺に追い込まれた巨大マルチを詐欺で潰し、刑務所にいたことがある)はかつてとある巨大マルチを潰したときにその内部の多くのひどい人間をみてきたよ
だが、マルチで最もタチが悪かったのは
良い事をしていると思い込んで 結果人を騙している人間の多いこと
そいつらは人を騙している自覚を全くない
なぜなら そいつらは自分のせいで相手がどれだけ苦しむかを想像する事から逃げている
完璧な思考停止 究極の無関心状態だ
疑うことは決して「悪」じゃない
本当の「悪」は
他人に無関心になることだ
これは衝撃だったね。言われてみればそうだ
疑うとき、それはその人のことを観察しているでしょう?
ただ、疑うことは同時に「自分にとってメリットがないかどうか」
ということを同時にしていること
それは、自分が不幸にならないための防衛として本能的にやっていることだ
しかし、安易に人を「信用する」ということは、勝手にその人のことを分かったようになり、自分に都合のよいように解釈をする、一種の独りよがりであること
それで「信用したのに、裏切られた」はないだろう。
ただ、人間付き合いで信じる行為は絶対に出る、出ざるを得ない
そのときに使うのが、さっきも書いたけど「信頼する」
今、わしが「信用する」という言葉を使うときはこのライアーゲームの言葉を使うなら「あなた(または物、行為に対して私は無関心です。面倒なのでやめてもらえないか?」なんです。
これは俺自身の解釈なので、他人が使っても「まあ、その程度にしか思えないのね」と思っちゃうのね。だからそれなりの距離にならざるを得ない
それもこの「信用する」という言葉、乱発して使っているから他人には「善意」だと思ってられるので非常に都合が良い
「信頼」して良いのか「信用」して良いか分からなくまだまだ「疑う」余地のある人に対してはとりあえず「信じる」と濁してます。
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基本的に「信用する」って言葉が嫌いの一つ
善・信用って「良いこと」と世間はそうなっているが、個人ではそう思わない。
BLOGにもかいているから、今更感はあるけど…
まず、善と悪を考えてみよう
悪とは…文化や宗教によって定義が異なるものの、概ね人道に外れた行いや、それに関連する有害なものを指す概念である。
じゃあ、善は?道徳的な価値としての良さ。道徳的に正しい事、多くの人が是認するようなもの。相対的なより良いではなく、絶対的な良さといえるものの事。
基本的に反対に考えるだろうが、本当は違う。
悪はでっかく「やっちゃ駄目なこと」。善は「正しいこと」
分かりやすいでしょう?やっちゃ駄目って
本来「殺す」事は「悪」のはずなのに「善」になることがある。
相手が敵だった場合だ。
相手が「悪」と認識した場合「正義」「善」という「行為」の元、自分の価値観を広げ・押し付けるため、倒す。
善意とは、相手によい結果を導こうとして行為を行なう気持ちを指す
良い結果って何?
自分では「良い」とおもっても、相手には「良い」とは限らない。
究極の自己満足なんだ
善も正義も「良い」となっているが、果たして良いこととはなんだろう…
無いんだよ。この世の中に「良い」事なんて
悪いことをしなければ、結果は良くなるのだ。無理してやることは無い。
正義の反対は悪ではない!正義の反対は別の正義なんだ
善意自体が無理なんだから、やらなければ良い。
ただ、こっそりとやるのが一番。
恩着せがましいものは「悪」になる。
それを話したらもう一つの事思い出した…
まあ、いいか…
よく考えてみたら、ころころ考えが変わってるんだもん。
理想と現実。
理想は理想としてそのままにしておいてくれ。
現実で、どう対応するか、体現できるか、うまく活かせるかだろう?
だから、これはこれでおしまし。
恋愛の話もおしまい(爆笑)

